5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

失われた未来 LOST FUTURE 2000

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/08 20:56
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/collection/img/61805.JPG

 一九三九年、ニューヨーク世界博で最も人気を集めた催し物は、ゼネラルモータース社の『フーツラマ』だった。
25年後の未来(つまり一九六四年)のハイウエイを巨大ジオラマで見せ、興奮冷めやらぬ観客が出口から出ると、そこにはさっき見た未来都市の本物が、実物大セットの十字路が拡がっている!
 当時の人々がいかに驚き、感動したかは想像にあまりある。
この小さなバッチは、出口で配っていたおみやげである。
「私は未来を見た」
 観客は、誇らしげにこのバッチを胸につけながら、会場を闊歩した。
 失われた未来・ロストフューチャー。
それは、かつて私たちが本気で夢みていた、輝けるバラ色の未来世界のことだ。
それは結局、決して行き着くことのできない幻像だったのだろうか。

 未来を信じていた時代の子供たちは、常に進むべき世界を教えられた。
大人たちは素晴らしい未来を語り、町工場で作られるオモチャたちは「未来からのメッセンジャー」として子供たちに与えられた。
 ロケットや空飛ぶ車やモノレール。
そんな「未来のオモチャ」は、いつも子供たちに「きっと素晴らしい21世紀がやってくるよ」と約束しつづけたのだ。

 21世紀を○○○日後に控えた現在、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか。
フーツラマで予言された「高速道路によって都市が結ばれる社会」は、たしかにやってきた。
量販店や宅配便、コンビニという都市生活者の生命線は、これによって保たれている。
 貧困や病苦は社会にとって絶望的な病ではなくなり、カルト集団や無差別殺人が私たちの社会の不安要因となってしまった。
 ではそんな世紀末の今、私たちは自分自身の子供に何を教えるべきだろうか。
「自然の大切さ」「人間同士のふれあい」「動物の素晴らしさ」
 まるでゴールデンタイムの家族番組だ。
 私たちはもう子供に「未来」を語らない。
「月へ行くという目標に向かって、努力を重ねる」という「未来」は陳腐化してしまった。
 「未来」のかわりに教えるのは「純粋さ」と「夢」だ。
妖精やサンタの存在をいつまでも子供に信じさせたい、自分の可能性を信じさせたいという私たち。
 「未来」を信じれなくなった私たちは、「せめて子供だけは、いつまでも夢を信じてほしい」と切望する。
そんな「夢」や「純粋さ」とは、残酷で無慈悲な未来からの逃避だということを知りながら。

 二一世紀を迎えるこの世界がどこに行こうとしているのか、それは僕自身にもわからない。
「私は未来を見た」
私たちはこのバッジを見て、こう呟く。
「私たちはかつて、輝ける未来を信じていた」


著者:岡田斗司夫
ソース
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/priodical/future/future5.html

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/08 21:03
長すぎて読む気しない
とりあえず2げと

3 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)