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日本と世界の歴史的な戦争を語りましょう

1 :名無し三等兵:03/05/26 17:08 ID:???
 現在の戦争を理解するためには中世以前の古代の戦争を理解することも必要です。
 例えば桶狭間で圧勝すると思われた今川義元は、何故、新興勢力の織田信長に敗れたのか?
 古代中国で、武勇と知略の全てに長じた項羽が、全てに劣った劉邦に何故破れたか?
 名将ハンニバルは、何故、ローマに破れたか?
 これらの問題を考えてみましょう

2 :自営業阻止委員会 (バウアー):03/05/26 17:08 ID:???
阻止

3 :名無し三等兵:03/05/26 17:14 ID:???
>>2
私は自営業ではない

4 :名無し三等兵:03/05/26 17:24 ID:???
桶狭間は古代戦なんか?おい?

5 :名無し三等兵:03/05/26 17:29 ID:???
>>4
中世以前と書いているでしょう。
中世の戦争も含まれています。

6 :名無し三等兵:03/05/26 17:33 ID:???
「中世以前の古代の戦争」と書いてるぞ

7 :名無し三等兵:03/05/26 17:33 ID:???
桶狭間の戦いでは、今川軍は信長軍をなめてかかっていたのだな。
信長の砦を二つ一度に落とそうと、軍を本隊を含めて三つに分け
しかも不利な窪地の桶狭間に本隊の陣を張った。
戦争では高いとこに陣がある方が圧倒的に優位と、孫子の時代からの定説だろう
そのため総力では圧倒的に優位でありながら、本隊はあっさりと信長軍に破れた。

天下統一と戦乱の終焉のせっかくの機会が失われたのは残念なことだが、
信長の勝利は今川の慢心の結果としか言いようがない

8 :今川義元:03/05/26 17:38 ID:???
>7よ。一応は1000名位の前衛隊は居ったのじゃ。
ただこやつらがヘタレじゃったばっかりに・・・・

9 :名無し三等兵:03/05/26 17:47 ID:cK1mWTa6
>>7
桶狭間「山」ね
信長公記を読みましょう
大体、敵地でわざわざ奇襲を受けやすい窪地に陣を張りますか?

10 :今川義元:03/05/26 17:48 ID:???
>9
そのとうりじゃ

11 :名無し三等兵:03/05/26 17:53 ID:???
三戦板でやれよ。

12 :名無し三等兵:03/05/26 21:03 ID:???
日本史板とか世界史板でやった方が・・・

13 :名無し三等兵:03/05/26 22:10 ID:???
>>12
戦争や軍事に限るので、軍事の板の方が適切かと思いますが。。

14 :名無し三等兵:03/05/26 22:13 ID:???
いや、ぶっちゃけこっちの板ではその手の時代に詳しい人は少ないと思うよ?
板またぎの住人もいるからなんとも言えんだろうけど。

15 :名無し三等兵:03/05/26 22:21 ID:???
某研がカキコすれば大丈夫。

16 :名無し三等兵:03/05/27 10:13 ID:nL5BVL8L
某研究者召還コマンド発動!


17 :名無し三等兵:03/05/27 10:26 ID:???
上、上、下、下、右、左、右、左、A、B 弾無限

18 :名無し三等兵:03/05/27 12:28 ID:???
小波コマンドかよっ


19 :名無し三等兵:03/05/27 12:29 ID:???
>>14
古戦を詳しく無い人間が軍事を語るのは難しいと思いますけど?
どこの士官学校でも、ハンニバルの時代の戦争だって教えます。
それだけ古代よりの兵法は、現在の兵法にも関連があるものですから

20 :名無し三等兵:03/05/27 14:46 ID:???
>>19

>>古戦を詳しく無い人間が軍事を語るのは難しいと思いますけど?

詳しく理由を教えてくれ。


21 :名無し三等兵:03/05/27 21:17 ID:???
ハンニバル戦争については、2つの視点から学ぶべき点があるだろう。

恐らくね、あの時代における2つのRMAの戦いだったんだ。あの戦争は。

一つ目のRMAは、カンナエの戦いに代表される、ハンニバルによる機動戦力としての騎兵の存分な活用。
騎兵…というか機動兵力の集団的運用によって、二重包囲〜包囲殲滅を実行したというのは、当時としては画期的な戦術的革新に違いない。

二つ目のRMAは、事実上の国民国家的なローマの将兵の育成・動員システム。
経験豊富な政治指導者が即、軍事指導者に転用でき、かつ、有産市民のかなりの割合を経験豊富な兵として動員できるという、限定的ではあるにせよ、国民国家的システムを持つことによって、ローマはハンニバル戦争を戦いぬけた。

ハンニバルの将才によってもたらされた新しい戦術システム。
それに対して共和制ローマが歴史の流れの中で培った優秀な戦略システム。
その相克であったというふうに見なすことができる。
そして、そのどちらもが、その時代、他の国にはなかったものだ。
いや、優秀な将、優秀な兵、優秀な騎兵はいても、軍事システムとしては成立していなかった。

……とこう書いてみて思うのは…
>古戦を詳しく無い人間が軍事を語るのは難しい
ではなくて、古戦にも詳しければ、いろんな豊かな語り口を持ちうるということだな…。

22 :山崎渉:03/05/28 15:54 ID:???
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

23 :名無し三等兵:03/05/28 17:56 ID:???
>>20
古戦も現在の戦争とは切っても切れないものです。
孫子の兵法は現在でも通じる兵法であり。
ハンニバルの戦法も、敵の意表を突く戦法の真価がそこにある。

24 :名無し三等兵:03/05/28 17:58 ID:???
日本の戦争の革命の一つは元寇だな。
従来の一騎打ちによる騎馬戦から、大陸では当たり前の集団戦へ移行した。
さらに戦国時代には信長という型破りの人物が、鉄砲を使った新しい戦法を編み出した
一説には欧州の戦争を宣教士から学んだと言われるが、
これらの兵法の革命はなかなか興味深いものです

25 :名無し三等兵:03/05/28 21:15 ID:???
>>24
まあ、その前に、公地公民制度の骨抜きということがあるわけだが…。

開墾地の私有が認められたことによって、
開墾地を守るために武装する自作農民がまず生まれた。

相続の関係で土地をもてなくなった連中…
借金等で開墾地を失った連中が、荘園を武装して守る小作農になった。

これらの武装する自作農、小作農の組織化と序列化が進んだ…。
組織化された集団は、貴族の一部や臣籍降下した皇族を向かい入れて、
棟梁とした。

日本で始めて大規模な恒常的に武装する者からなる社会階級が誕生した。

武士だ。

そして、この武士が貴族から権力の実質を奪い取り、武士のための土地所有制度を作るために幕府を作った。
鎌倉幕府の成立は、ある意味で革命だった。
そして、平安期の蝦夷征伐の終了以降、初めて常備軍が誕生した軍事革命でもあった。

26 :じんべえ:03/05/28 22:18 ID:vPH3lfFz
>>20
ペルシャは騎兵を集団運用していたわけですし。
カンネーはRMAとは言えない気がする。
むしろ相手の意表を付いたという点で評価がされているのでしょうか?

ローマのシステムが優れていたのは言うまでもないが、スパルタでも有産市民の男子は兵士であったわけですし。

>>古戦を詳しく無い人間が軍事を語るのは難しい
>ではなくて、古戦にも詳しければ、いろんな豊かな語り口を持ちうるということだな…。

賛同。古代の有名な兵法などは普遍的なものを持っているかも知れないが。
高度に情報化が進みつつある現代戦にどこまで通用するのかと言えば。
言われているほどではないと思います。


27 :名無し三等兵:03/05/28 22:35 ID:???
>>24

確かに元寇が集団戦闘へと移行する完全なキッカケとなったのかも知れないが、ひよどりごえを始めたあたりから日本でもかつての戦闘の慣習を打ち破る基礎は出来上がっていたと思う。

>>戦国時代には信長という型破りの人物が、鉄砲を使った新しい戦法を編み出した

信長の鉄砲装備率は他の大名に比べても低いわけだし。
一人に一丁鉄砲を持たせようとした島津、長宗我部の方が鉄砲を有効に活用したのではないか?
むしろ信長が長けていたのは戦闘ではなく多少無理な方法でも人材を上手く使う事であったと思う。


28 :名無し三等兵:03/05/28 22:44 ID:???
>>24
よく考えたら日本は元寇の時、一騎討ちで集団戦法に負けたのに第二次世界大戦で同じ負け方をしてるのね。
偶然?

29 :名無し三等兵:03/05/28 22:53 ID:???
>>28

>>第二次世界大戦で同じ負け方をしてるのね。

???

30 :名無し三等兵:03/05/28 23:00 ID:???
>>29
空戦のことを言ってるとオモワレ

31 :名無し三等兵:03/05/28 23:08 ID:???
日本は航空機による集団運用を行わなかったの?

32 :名無し三等兵:03/05/28 23:11 ID:???
勿論行ってますが何か?

33 :名無し三等兵:03/05/28 23:20 ID:???
>>32

とすると>>28はどういう事?

34 :名無し三等兵:03/05/28 23:23 ID:???
航空機による一騎打ち、一次大戦レベルだな。

35 :名無し三等兵:03/05/29 03:11 ID:???
>>27
しかし武田の騎馬隊を鉄砲隊でうち破ったのは見事でしたよ。
以前から三段構えの方策と言われるが、アレは鉄砲隊を三人並べて順次撃つのでは
なく、平地に騎馬の突入を防ぐ砦を作り。鉄砲隊で叩く。
そんなものだったとの説を聞いたことがありますが、信長の勝利は騎馬隊による密集
戦法を時代遅れにしてしまったでしょう。

36 :名無し三等兵:03/05/29 03:16 ID:8agIYfOf
チョンのバカがサイパンにある日本軍の最終拠点となった史跡に
こともあろうことか落書きをした模様。
これでは英霊も浮かばれない。

ソース
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Guitar/5433/


37 :名無し三等兵:03/05/29 03:25 ID:???
>賛同。古代の有名な兵法などは普遍的なものを持っているかも知れないが。
>高度に情報化が進みつつある現代戦にどこまで通用するのかと言えば。
>言われているほどではないと思います。

もちろん古代の戦法が、現在でもそのまま通じることはあり得ないが、それでもその古代の戦法が
何故、その当時、通用したのか、それを理解しないと戦法の本質を解すことなど出来ません。

何より、軍事思想も兵法も現実には古代の兵法書に全て出し尽くされています。
第二次大戦に行われた戦略爆撃も、策源地の機能喪失として古典の時代からある。
近年になって行われたRMA構想も、高度に発達した通信機器やITなど、その時代の技術水準に
応じて小道具は変わって来ていますが、それらの重要性や戦法への指摘は古典の時代にすでにある。
だからこそ歴史上の戦法も兵法も現在でも光のです。

38 :名無し三等兵:03/05/29 03:29 ID:???
>>34
石原完爾が世界最終戦論で良いことを言っていたね。
戦争の最小指揮単位は逐次小さくなり、やがて個人になる。
彼は現在の戦争のあり方を予見していたのだろうか?

39 :_:03/05/29 03:37 ID:???
http://homepage.mac.com/hiroyuki43/hankaku10.html

40 :名無し三等兵:03/05/29 16:16 ID:???
>>25
豪族も元もとは武装を行っていましたよ。
古代は小国が乱立する時代だった。その小国の連合体が大和朝廷だったわけです。
やがて豪族は貴族となり。王朝時代へ移り
さらに封建時代に移った。

北東アジアでは封建時代があるのは、日本だけなのだよね。
この辺がどうしてか興味深いですよ。

41 :名無し三等兵:03/05/29 16:25 ID:???
>>35

>>しかし武田の騎馬隊を鉄砲隊でうち破ったのは見事でしたよ。

80年代で思考が停止している予感!!

42 :名無し三等兵:03/05/29 16:30 ID:???
>>37

別に煽りとかではなく。
古代の戦争を知らないと現代戦がうまく語れないという具体例が欲しいのだが。

43 :名無し三等兵:03/05/29 16:33 ID:???
桶狭間の戦いは今川義元上洛の為の戦いでなく
尾張の覇権確立の為の戦いであった、というのは

キシュツ?

44 :じんべえ:03/05/29 16:49 ID:S/wwTSy0
>>43

そうらしいね。
今川が上洛をしようとしたという記述は見当たらないんだったっけ?

>>41

横槍だけど。
武田は騎馬軍など使っておらんよ。
騎馬を使うときも日本の場合は密集突撃なんか出来ない。
馬の数が少ないからだ。

むしろ鉄砲を上手く使ったのは雑賀であって、信長は痛い思いをしている。


45 :名無し三等兵:03/05/29 16:56 ID:???
>>38

むしろ現代はいかに大人数を効率よく動かすか?
にかかっていると思うが・・・


46 :名無し三等兵:03/05/29 20:39 ID:IpouA5nK
信長は戦争があまり上手くなく、その上、尾張兵は相当なへたれだった。
この欠点を克服するために信長がとった戦法は徹底した「物量戦」
この「物量戦」を行うためためには当然、相当な経済力が必要だったが
当時、信長が支配していた領国、とりわけ尾張、美濃、南近江の石高は
相当なものだっため、「物量戦」が可能だった。
さらに、信長の持つ過激な性格からか、織田軍は日本史上、稀にみる徹底した
「殲滅戦」を行った。一向宗や延暦寺に対してとった措置をみれば明らかだろう
織田軍が強かったのは「物量戦」と「殲滅戦」を行ったからである。

…って大学の先生が言ってました。つーか、軍版で話す内容じゃないか…

47 :名無し三等兵:03/05/29 20:55 ID:???
一向宗のたぐいは最後の最後まで徹底抗戦するし、言葉で話してもわかるような連中ではない。
よってそのような作戦を取るしかないのだ。



48 :らいむいろ:03/05/29 20:58 ID:???
>>46
かなり古い通説ですにょ。

武田の騎馬の割合が実は北条より低かったのと同様
つっこみ所だれけですにょ。

49 :さくら:03/05/29 21:07 ID:???
>>48

詳しく教えて欲しいぴょ。

50 :名無し三等兵:03/05/29 21:15 ID:???
>>49
もっと詳しい人がいくらでもいるが

・尾張兵は別に弱兵ではない
・物量戦は他の大名でも可能
・経済力も他に優れた大名はいる
・殲滅戦は織田軍だけではない(ただしあまり例はない)

51 :名無し三等兵:03/05/29 21:29 ID:???
信長が強かったのは、ただ単に京に近くて
将軍やら朝廷の権威を利用しまくったからかもしれませんね。
要するに、政治家として一流だったと

52 :名無し三等兵:03/05/30 01:46 ID:???
尾張の信長と言えば、破天荒な人物で有名だよね
乱世は、漢の劉邦と言い。かならず型破りの人物が台頭でき
それだけに面白い時代だ

53 :名無し三等兵:03/05/30 02:25 ID:???
>>40
板違い気味でしが、律令制から承久の変ぐらいまでを探るのも一興かと。

中国との比較で言えば、かの国では科挙試験で官僚層を積極的に育成し、
貴族層(=封建制の核となりやすい)を意図的に排除・衰退させたのが大きかったような。
同じ中央集権・律令制度とはいえ、>>25さんがすでにご指摘の通り、日本のそれは経済的基盤を持てない親王(3世、4世以降の王たち)が地方に下り、
やがては武力/経済力、そして権威で中央を脅かすという制度的欠陥も秘めてましたし。
対して中国にはかなりの親王領があり、皇子らに捨て扶持与えて地方勢力や不満分子が貴種を担ぐ事態を抑止。皇帝と科挙官僚の権力は安定。
自分はこういう観点(1つの仮説でしが)から、平将門や尼将軍北条政子などに注目してます。

54 :名無し三等兵:03/05/30 12:12 ID:???
>>53
三国志の曹操の起こした魏では、皇族に権限を持たせれば皇族同士の争乱を招くと
皇帝以外の皇族には出来るだけ権力を持たせないようにしたそうだ。
しかしその結果、家臣の中に力を付けたものが出ると、皇帝を守れる皇族がいない
であっさりと滅ぼされた。
魏の後を継いだ司馬氏は、それを反面教師に皇族に強力な権限を持たせ
皇帝を守れる体制を取ろうとしたが、今度は曹操の懸念の通り皇族同士が覇権争い
を初めて収集がつかなくなった。。
要するに唐王朝の律令はそうした課程を経験して確立されたものであり。
簡単に日本がマネできるものではないでしょう。

天智天皇あたりは、それを強引にやろうとして地方豪族の恨みを買いまくり。
結局、その息子の代で壬申の乱が起こり。弟・大海人皇子を担いだ中小の地方豪族達
に倒されたし

55 :名無し三等兵:03/05/31 00:13 ID:???
>>47
宗教や民族が絡めば、戦争というのは必ず陰湿なものになる。
それは歴史が証明しているよ。。
十字軍の遠征なんて見てみなさいな。アラブ圏では十字軍は虐殺と略奪の象徴では
ないかね

56 :名無し三等兵:03/05/31 10:44 ID:???
偉大なるカルタゴの名将・ハンニバル
無謀とも思えるアルプス越えを行い。ローマ帝国を震撼させた。。

しかしカルタゴの運命は哀れとしか言いようがないな。
最後には、ローマに対抗する力を完全に失い。農業国として存続していたのに
ローマによって徹底的な攻撃を受け。破壊された。。

現在のローマ帝国アメリカの姿と重ねてカルタゴの姿が哀れに思える。
そのローマもアジアの遊牧民達に逐われたゲルマン民族によって滅ぼされた

57 :名無し三等兵:03/05/31 12:08 ID:???
日本の歴史は、戦争の歴史だからね。
徳川時代の安定期を除き。常に大小の戦乱があった。
小規模だが記録に残らないものも多いが、詳しく調べてみると対馬への半島からの
侵入や九州への大陸の海賊の襲来。
その他諸々。。
一部の政党や平和主義者が唱えるような、日本は自分から戦争仕掛けない限り。
戦争が起こることが無いなんてあり得ない。
それを平然と機関誌に書いている連中とそれを真に受ける連中がおおすぎやしない
かね?

58 :名無し三等兵:03/05/31 12:34 ID:???
刀伊とか元寇以上の襲撃だしなぁ。 歴史の授業じゃ、1行か2行程度。

ところで、MS-IMEで倭寇は一発変換されるのに元寇は一発変換できないのは
なぜなんだろう。

59 :名無し三等兵:03/05/31 12:56 ID:???
刀伊の襲撃なんて、日本人でも知らないのが多いのが現状だ

60 :名無し三等兵:03/05/31 12:57 ID:???
ATOKでは、元寇も一発で変換出来るよ。
IMEは馬鹿だから駄目なのでしょ。
実際にIMEからATOKに移った人はいても、その逆はまずないし

61 :名無し三等兵:03/05/31 13:10 ID:???
MS-IMEは使えないのはわかってるんだが、
日本じゃ馴染みの無い檀君は一発で変換できるし
金大中(きむでじゅん)盧泰愚(のてう)とかも一発変換できるのが
なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんか気になるんだな。

62 :名無し三等兵:03/05/31 13:12 ID:???
日本史(の授業)のなかで、
刀伊の襲来の扱いが少ないのは、
某方面に対する配慮からですか?

考えすぎ?


63 :名無し三等兵:03/05/31 20:59 ID:???
>>63
単に一過性の局地戦だからと違うか?
元寇みたいに全国的な動員がかかったわけじゃないし。

64 :名無し三等兵:03/05/31 21:56 ID:???
>>62
歴史の授業っていうと、明治時代を教わり始める頃に学年が終わってしまうものだ。

第二次大戦後の第三国人の横暴や土地泥棒をもっと教えるべきだ!

65 :名無し三等兵:03/06/01 02:51 ID:???
>>62
単なる海賊の襲来だからね。教科書に記述するまでも無いと判断した可能性は否定しないが。。
しかしそのワリには、日本の倭寇に関しては、必ず記述があるな。
日本の海賊行為には詳しく記しながら、こっちの被害には記すことはないってのもおかしな話だ

66 :名無し三等兵:03/06/01 19:10 ID:???
単純に倭寇の方が大規模だったからじゃない?
後期倭寇が朝鮮人だったこともあるし。

67 :名無し三等兵:03/06/01 19:39 ID:???
しかし面白いのは倭寇は朝鮮でも中国でも日本からって見方が多いってことだ。
韓国の教科書には、王の倭寇の征伐が記されているが、詳細を読んでみると倭寇の
長はどう見ても日本人ではなく中国人の名前だが、日本の倭寇を撃退したかのよう
な感じで記している。
だいたい海賊なんてものは、ほとんどが武装商船だ。
交易のついでに他の地域で一暴れするか、交易の交渉が拗れたら実力行使に出たり
あるいは逆に襲われるのを防いだりするために武装するのが普通。

有名なバイキングも、彼らの船旅で得る利益の大半は交易で得たものであり。
海賊行為で得たものの方が少なかったくらいだよ。
当然、その海賊行為には朝鮮や中国に東南アジア系の交易船も含まれていただろう。
そのことを論じないのもおかしなものだよ

68 :名無し三等兵:03/06/02 00:00 ID:???
村上水軍などの海賊は、地方領主って位置づけだ。
交易船から通行税を勝手に取って、それに応じなければ武力で奪い取る。


69 :名無し三等兵:03/06/02 09:40 ID:???
村上水軍の戦術は詳しくは知らないが、バイキングの戦術は単純極まる
平地での戦いは丘のような高い場所に盾を持って一列に並び。敵を迎え撃つ。
敵が遠距離の場合は、弓で至近距離に近づいたら斧や槍を使う。
海の場合も似たようなもので、意外に防御を重視した戦法だったらしい

70 :長文すまんね:03/06/02 12:40 ID:???
>42
戦術、作戦に関しては技術の進歩によってさまざまに変化してきたが
戦略やリーダーシップなどに関しては過去の例が参考になるからだよ。
たとえば、イラク戦に関してもアメリカ軍が行ったのは
よく訓練されて高度な指揮、通信能力を持ち、さらに機動力のある
部隊を多方面から首都に向かって進撃している。
また、湾岸戦争以降イラクの経済封鎖、武器の破壊、外交的な孤立を図って
実に10年の歳月をかけて万全の準備をして戦争を行っている。
そしてこれらはアメリカ軍が考案したのではなく、太古の昔から
軍、そして国家が戦争を行うにあたり可能な限り希求していたもの。
モンゴル軍やナポレオン、信長やハンニバルなど過去の戦争指導者達が
どのように考え、行動しそしてなぜ勝利し、または敗れ去ったのか?
これら過去のについて学ばなければ、イラク戦においてアメリカがなぜ
フランス、ドイツ、トルコに手厳しくなったのか?
パウエルとラムズフェルドがなぜ対立しているのか?
アメリカ軍はイラクに対してどうしてあの作戦で侵攻したのか?などなど
まったく理解できません。
逆に過去の歴史を正しく理解し、一定の情報と判断力、推測力を持てば
ある程度の理解はできるようになるでしょう。



71 :名無し三等兵:03/06/02 14:31 ID:???
>>70
>>42の指摘は具体的な例を述べろと言うものであり。あなたの意見とは違うと思い
ますけど。。
具体的な例を述べれば、孫子の兵法書を読み。ドイツ皇帝が感銘を受けたとか
抽象的な例は幾らもありますけど、近代にぴったり古代の戦法がそのまま当てはま
る例はなかなか見あたりません。
それはあなた。時代によって思想も戦略も技術も違うのですから、大雑把なものは
当てはまっても細部まで全てそのまま当てはめることは出来ません。
だからこそ歴史上の例をよく学び。そうした知識の中から推測や判断出来る能力が
必要とあなたは指摘したいのでしょうが。

72 :名無し三等兵:03/06/02 15:44 ID:???
>>71
ちょっとまてよ、いくらなんでも読みにくすぎるぞ(いろんな所が
第一、「具体的な例を述べれば・・・」述べてないだろ
わざとか?

73 :名無し三等兵:03/06/02 17:49 ID:???
>71
例として今回のイラク戦争を挙げたつもりだったけど分かりにくかったか・・・。
まあ、我ながらまとまっている文とはいえないわな。

では簡潔に
90年〜91年の湾岸戦争によってアメリカ軍は第7および第18軍をもって
後方への機動による包囲殲滅戦を狙ったと推測される。
なぜ、推測できるかというと古代のハンニバル、シュリーフェンが行ったまたは行おうとした
側面運動に類似しているからである。

うーん、今度は簡潔すぎていろいろ突っ込まれそうだw



74 :名無し三等兵:03/06/02 18:23 ID:???
>>73

別に知らなくても推測されるだろ。


75 :名無し三等兵:03/06/02 18:32 ID:???
>74


まあ、これはあくまで一番分かりやすい例を挙げたので
そういわれるとミもふたもないが、
それでも、知らなくても本当に推測できるかどうかもう一度考えてみては?



76 :名無し三等兵:03/06/02 18:35 ID:???
>>75

俺は湾岸の時はハンニバルもシュリーフェンも知らなかったが。
包囲くらいはわかったぞ。

77 :名無し三等兵:03/06/02 18:37 ID:???
まあ包囲戦術という言葉があるのはハンニバルのおかげかもしれないが。
ハンニバルを知らなくても包囲という言葉自体は一般人も知っているわけで。


78 :名無し三等兵:03/06/02 18:45 ID:???
ぶっちゃけ現代戦は変わりすぎてたんだよ。
過去の戦訓が生かせる時代なんてもう終わるかもしれない。

特に陸軍系の戦術は航空優勢の前では無意味ですからな。

まあ毛沢東、チェ・ゲバラは今でも役に立つかもしれないが。
正規戦における兵法は役に立たたない気がする。

さらに相手の動きをどう読むか?というのが古代から近代の戦争では重要であったわけだが。
現代戦では下手をすれば相手の動きなど筒抜け状態ですからな。

79 :名無し三等兵:03/06/02 19:02 ID:???
>>78
根っこの部分は古代も現代戦も大して変化はありませんよ
補給の重要性などは孫子の時代から唱えられていることですし
まあ。技術変化に伴って戦術の変化はあり得ることですが、あくまで戦術レベルの
変化であり。それは弓が兵器の主力だった時代から銃が主力となった時代
モールス信号など電波の発見で通信が重要になった時代などの変化もありましたけ
ど、戦争論や孫子など古い兵法書が今でも読まれているように思想自体には変化は
ありません。
そもそも装備の変化によって戦術が変化して行ったことを理解しなければ、新しい
兵器の登場がどのように戦術を変化させるものかを理解することは難しい。

毛沢東やチェ・ゲバラの戦術は確かゲリラ戦を指摘したものでしょう
それでもゲリラ戦を理解しなければゲリラ戦に対抗することは出来ませんよ

>さらに相手の動きをどう読むか?というのが古代から近代の戦争では重要であったわけだが。
>現代戦では下手をすれば相手の動きなど筒抜け状態ですからな。

アメリカは南北戦争の勝利で「策源地の破壊」と「後方重視」が基本戦略となりました。
狩猟を重視したアングルサクソンの伝統が、通信諜報活動重視になりました。
要するに現在の戦術も民族や国家の古代よりの教訓があって初めて成り立つものであり。
それを抜きにして敵と味方の戦術や戦略を理解することは出来ません

80 :名無し三等兵:03/06/02 19:09 ID:???
>>79

補給の重要性などは別に古代戦を研究するまでもなく常識だ。
わざわざ何かの書を読まずとも良い。
ようするに戦術の基本となる部分などは。
軍ヲタやってれば普通に知っているものであって。
別に古代〜近代戦を研究しなければならない理由にはならない。


81 :名無し三等兵:03/06/02 19:25 ID:???
>>80
歴史は繰り返すと言いますけど、これは正しくない
しかし同じようなパターンをたどることはよくありますよ。
そもそも歴史を知らずしていまを語ることなど出来ない。。


82 :名無し三等兵:03/06/02 19:31 ID:???
○古代戦の戦略思想などは現代戦にも通じる物がある
×古代戦の戦略思想を理解しなければ現代戦も理解できない

だと思うがどうよ?

83 :名無し三等兵:03/06/02 19:54 ID:???
というか2次大戦をそれなりに研究すれば古代の戦闘など研究せずとも良いだろう。

84 :またまた長文:03/06/02 19:55 ID:???
>76
ハンニバルもシュリーフェンも
その他の過去の戦い会戦もなんにもしらずに
包囲がわかったのか。
それはすごい。君はきっと軍事に関して天性の素質があるのだろう。
そして、包囲作戦だけでなくさまざまな作戦もその
天性の素質で理解できるのでしょう。

私は一番初めはアメリカ軍は包囲殲滅ではなく
陽動部隊を敵後方に侵攻させ後方連絡線を遮断又は
それを図ることによってイラク軍を退却させるのかと
思ってました。なぜならあの時点ではアメリカ軍の目的は
クウェートの解放でしたし、犠牲が多く生じる可能性があり
また、兵站的にもかなり辛い本格的な機動軍を砂漠の
真ん中を踏破するにはかなりの指揮統制能力と
兵站システムが必要とされるからです。
実際シュリーフェンプランも兵站上に問題があって
そのプランどうりには発動されなかったし。
まあ、実際はアメリカ軍の指揮統制能力と
兵站能力が想像を遥かに超えて素晴らしかったわけですが

ま、素質の無い私は過去の戦争を学び戦いを学び組織学や
人間の行動、軍制や兵站、指揮統合について勉強します。
しかし、案の定いろいろ突っ込まれたな。



85 :名無し三等兵:03/06/02 20:04 ID:???
>>84

何わけのわかんねぇことかいてるんだコイツは?
湾岸での米軍の動向など過去の戦闘なんか学んでもわかるわけねぇだろ。
素質もクソもない。

>実際シュリーフェンプランも兵站上に問題があって
>そのプランどうりには発動されなかったし。

あの当時と現代をごっちゃにしてるんじゃないか?
はっきりいって機械化のレベルが違うだろ。
湾岸の例でシュリーフェンを出すなんて正直信じられぬ。



86 :名無し三等兵:03/06/02 20:05 ID:oymSaBiP
>>84

てか湾岸なら普通は2次大戦以降の戦闘の例を出すだろ。
古代の戦闘とどのように絡めるのだ。

87 :名無し三等兵:03/06/02 20:07 ID:QD+lCk7W
「源平合戦」をドウ思う、君たち?

88 :名無し三等兵:03/06/02 20:08 ID:???
>>1
正直漏れは。
歴史的な戦闘なんかよりも。
現代の戦闘を学んだ方が良いと思います。

89 :名無し三等兵:03/06/02 20:10 ID:Pvdbrcfr
ここのせいでオナニーしすぎだよまったく・・・
         ↓

 http://www.dvd-yuis.com/

90 :名無し三等兵:03/06/02 20:11 ID:QD+lCk7W
>>88
確かに近代兵器の用法とかはね。
でも現代戦も勝敗を決するのは人間だしね
古代戦や近代戦の戦訓からも学ぶものは多いよ。

91 :名無し三等兵:03/06/02 20:13 ID:???
>>87

どうせ、それは全く源平合戦を理解してないとか言って鬼の首を取りたいんでしょ?
自分の意見を先に言おう。

92 :名無し三等兵:03/06/02 20:14 ID:mZNvEBxU
半島には喧嘩のとき雪合戦のごとく「ウンコを投げつけあう」習慣がある


93 :名無し三等兵:03/06/02 20:16 ID:QD+lCk7W
>>91
だってこれも古代戦だろ?
おれは教科書に載ってるくらいしか知らないからね
みんなで語ってくれって意味。そんなに深く読まなくてもいいよ。

94 :名無し三等兵:03/06/02 20:16 ID:???
>>90

おっ初めて俺と同じ意見の人が出た。

>>現代戦も勝敗を決するのは人間だしね

そう。人が勝敗を決める限り。
戦争とは不確定極まるもの。
だからこそ古代の戦闘から学べるものがあると俺は思う。
だから兵法書がビジネスに使えるというのもそこにあると思ふ。

95 :名無し三等兵:03/06/02 20:17 ID:???
>>93

じゃあ俺は>>91のメール欄に書いてあるように思うのだが。どうよ?

96 :名無し三等兵:03/06/02 20:19 ID:QD+lCk7W
>>95
合戦そのものについて語ってね
俺の知識は>>91程度だから。

97 :名無し三等兵:03/06/02 20:19 ID:???
>78

言わんとしていることは理解できる。
けど、それでは制空権を取っただけで本当に
戦争に勝てるのか?やっぱり勝てなかったなんて言い訳は
少なくとも税金を払っている人や戦死者の家族にはいえないでしょう。
現在戦にはいるかどうかは人によるけど
朝鮮戦争、ベトナム戦争とアメリカ軍は制空権を取りながら
戦争に勝つことはできなかった。
局地的な勝利を掴むだけなら古代の戦争を学ばなくても良いかも
知れないが、戦争、戦役を勝利に導くためには
古代の戦いも参考になると思う。

そしてなにより、軍事が好きな人だったら古代戦も面白い

98 :名無し三等兵:03/06/02 20:27 ID:???
>>96

別にその戦争の意義自体を語っても良いのでは?

>>97

朝鮮戦争は詳しく調べてないからわからんが。
航空機の与える損害が中国軍の戦力回復力に劣っていたと言う事でしょう。
しかし現代のアメリカやロシアが保有する爆弾の殺傷力なら中国の回復力すら上回るのだと思う。

ベトナムはゲリラ戦だからな>>78が毛沢東を上げたのはそういう意味があるのではなかろうか。

>>そしてなにより、軍事が好きな人だったら古代戦も面白い

賛同。
現代との関連など考えずに古代戦について話すのは楽しい。
だから俺は世界史板によく行く。

99 :名無し三等兵:03/06/02 20:34 ID:???
>>99

>>そしてなにより、軍事が好きな人だったら古代戦も面白い

これが結論な気がするな。
軍事板に今は古代戦のスレないし。
>>1さんはどうよ?あんましごたく並べてもしゃあないし。
いろんな考えがあると思うし。

100 :名無し三等兵:03/06/02 20:36 ID:???
>>96
一言だけだな…
軍事的天才は、非常に重要な役割を果たす。

101 :名無し三等兵:03/06/02 20:38 ID:QD+lCk7W
>>99
まあね、古代戦は近代戦とは違った醍醐味があるしね。なにより面白い。
みんな、世界史板では出てこないような、軍事板ならではの話を頼むよ。

102 :名無し三等兵:03/06/02 20:39 ID:???
>>100

天才というか当時で言えば掟破りに近かったのでは?

まあそういう意味ではナポレオンもそうだが・・・

103 :名無し三等兵:03/06/02 20:42 ID:QD+lCk7W
>>102
常識を覆す発想で敵を襲撃する
一歩間違えたらただの基地外だが...
それで勝利に導くのが天才なのだな?

104 :名無し三等兵:03/06/02 20:43 ID:???
>>102
騎兵の集団運用が実際にどうかはともかくとしてね。
確かに起きて破りには、違いないんだよね。

常識を超えた部隊展開。
非戦闘員を巻き込んだ戦闘の実行。
類まれな、戦機を読む勘。

ナポレオンと違うのは、政治的な革新と結びつかないこと。
それが政治的リーダーシップおよび政治的天才の頼朝と袂を分かつ原因であり、
袂を別った後の末路に繋がってる。

105 :名無し三等兵:03/06/02 20:56 ID:???
>>103

常識というか。
あの当時では触れてはいけないものに触れたという感じではないかな?
あの時代に奇襲はしてはなりません。
とか文章に書かれて条約になっていたのかは全く知らないが。
今細菌兵器を使うに等しい行為だったのではないか。



106 :名無し三等兵:03/06/02 20:57 ID:???
>>104
>>政治的な革新
完全なる武士政権を作ったという点ではどうか?

107 :名無し三等兵:03/06/02 21:05 ID:???
>>106
それは、軍板の扱う事項から外れてしまうのでは?
また、「合戦」の「戦闘」を語るという注文とも違う。

しかし、頼朝〜北条氏のラインが狙った完全なる武士政権をというビジョンの完成に繋がったということでは、日本史上稀に見る軍事革命だと思いますが…。

108 :107:03/06/02 21:19 ID:???
>>107
上補足…
軍事革命=軍事を生業にする人たちによる革命ね。
RMAではない(苦笑)

109 :名無し三等兵:03/06/02 21:24 ID:???
>>83
それはどうですか?
プロイセンが巨大な陸軍力を発達させたのは、当時の最新技術のモールス信号を利用した。
効率的なピラミット型軍隊を作り上げたからです。
しかし現在ではそれが次第に否定され初めています。
迅速さが求められる現代の戦闘では、中央の指示を待っていたら対応出来ないと。
一兵士でも司令官の決断を求めるようになって来ている。
これは考え方によれば、中世の騎士制度の復活と見なすことが出来るでしょう。
やはり古代から現代まで一貫した軍事の知識の蓄積が、新しい戦法を生み出す知恵を与えるのではないでしょうか?

110 :名無し三等兵:03/06/02 22:18 ID:xR8PkV9g
歴史的といえばカエサルのガリア遠征。
内と外から敵に攻められても勝ったアレシアの戦い?だっけ。
兵法関係無しといった感じ。



111 :名無し三等兵:03/06/02 22:21 ID:???
>>109

>>迅速さが求められる現代の戦闘では、中央の指示を待っていたら対応出来ないと。

世界一の軍事大国のアメリカは基本的にそういうスタイルは以前からとってないが・・・

>>中世の騎士制度の復活と見なすことが出来るでしょう。

すまんが言っている意味がわからない。

112 :名無し三等兵:03/06/02 22:22 ID:???
>>110

ゲルマン騎兵が強かったからな。

113 :名無し三等兵:03/06/02 22:26 ID:v9qeGS1Z
ぼくらの七日間戦争!

114 :名無し三等兵:03/06/02 22:31 ID:???
>>109

というか参謀システム自体、米英は一次大戦以前から疑問視していたが。
ドイツですら(というか失敗したからこそ)二次大戦では現場重視だ。

中世の騎士制度と絡めたのは。
中世の騎士制は王(中央)ではなく諸侯(現場)の支持で戦っていると言う事を言いたいから?


115 :名無し三等兵:03/06/02 22:36 ID:oymSaBiP
古代の名言で今のところ唯一保たれているものそれは


海 戦 は 陸 に 近 い と こ ろ で お き る

                               byアレキサンダー

116 :名無し三等兵:03/06/02 22:40 ID:QD+lCk7W
>>115
海戦てのは大抵陸戦に関連して起こるから。

117 :名無し三等兵:03/06/02 22:41 ID:???
>>114

支持→指示

118 :名無し三等兵:03/06/02 22:45 ID:???
>>115

今のところはアメリカ相手に大規模な海戦が起きてないから何も言えないが。
相手の位置を把握できる現代ではそれは崩れてもおかしくない。

119 :名無し三等兵:03/06/02 22:46 ID:/26+FJz2
師のアリストテレスからの学問,教えをよく学んだが
ただ1つ、異民族を家畜のように扱えとの教えには従わなかった
アレキサンダー。
英雄ですな。


120 :名無し三等兵:03/06/02 22:51 ID:???
RMAの1つでもある”徴兵制”の前と後では
戦争の形態もだいぶ違ってくると思うんだが

121 :名無し三等兵:03/06/02 22:57 ID:???
だいたい名将というのは独学で学んでいる傾向がある。
アレキサンダーが軍事についてフィリッポス2世から学んだ時期も短かったらしい。



122 :名無し三等兵:03/06/02 22:58 ID:???
>>120

徴兵制を本格的に行ったフランスはイギリスから何まで相手に強かったね。


123 :system:03/06/02 23:02 ID:Rz7D7E2k
>>119
アレキサンダーを見ても、ハンニバルを見ても、ローマ帝国を見ても
異民族、あるいは被征服民を真の味方に付けなければ発展はない、
というのは古今不変の真理でしょう。アメリカがそこからなにかを
学んでくれていると良いのですが。つまり征服される事で利益を
得るような征服、統治される事で幸福になるような統治、の必要性
ですね。

124 :名無し三等兵:03/06/02 23:04 ID:???
>>123

アメリカはうまくやってる(きた)と思うけど。
おそらくイラクもアメリカ万歳になる日は近いと思うけど。

・・・思うという程度でしか言えないが・・・

125 :名無し三等兵 :03/06/02 23:04 ID:???
実例が身近にあるではないか。

>統治される事で幸福になるような統治

126 :名無し三等兵:03/06/02 23:07 ID:???
>>125

悔しいけど賛同。
しかも、正直言って悪い気はしない。

127 :名無し三等兵:03/06/02 23:09 ID:???
アラー

128 :名無し三等兵:03/06/02 23:16 ID:???
>>121
名将というより天才は、と言った方が良いのでないか?
すばらしい閃きをもった人もたしかにいて、従来の枠に捕らわれない発想か
ら、頭角を現す人も確かにいるけど。
一方でそうとばかりは言えない人も幾らもいる。
だいたいにおいて戦争とは、正攻法を忠実に守った方が勝つものだ。
敵よりもより強力な戦力を用意し、より政略戦略的に優位に立つ。
フランス革命後、ナポレオンが頭角を現したのは、ナポレオンが砲術士官と
して士官学校に通った経験があったから、革命派の中では数少ない軍事の知
識の豊かな人間だったからだよ。
ない

129 :名無し三等兵:03/06/02 23:17 ID:???
日本海海戦での勝利は、日本海海戦や旅順攻防の起死回生の一撃ばかり問わ
れるが、それが効果を発揮したのも裏側で当時の日本の強かな外交戦略があ
てこそだよ。戦費の不足を補えたのは、ロシア国内で迫害を受けるユダヤ人
達の不満を吸収し米国のユダヤ資本の援助を得られたからであり。
日本海海戦で勝利を得たのは、ロシアバスチック艦隊が日英同盟の日本が二
カ国以上と戦う場合は、自動的にイギリスも参戦する。
その規定を恐れてロシア艦隊の寄港をどこの国も拒否し、艦隊は地球を半周
する大航海を無寄港でする必要に迫られ、艦艇も将兵も疲労していたからだ。
何よりロシアが余力を残しながら講和に応じたのは、結局のところ。米英の
支援を受けたこと、国内の革命派が起こす争乱の鎮圧にロシアは戦争どころで
はなくなったため。

こうした面を無視して、奇跡の勝利という目に見えやすい戦術レベルにばかり
捕らわれることは非常に危ない

130 :名無し三等兵 :03/06/02 23:19 ID:???
でもあまり勉強熱心じゃなかったらしいよ。ナポレオン。

131 :名無し三等兵:03/06/02 23:20 ID:/26+FJz2
>>123
ローマは征服した側出身者から最高司令官(執政官)を
選出したくらいだから繁栄が長かったのか。



132 :名無し三等兵:03/06/02 23:21 ID:???
>>99
>>1ですけど、偉そうなご託を語らず。
ただ。古代の戦争を語るのも面白いからこのスレに参加する。
それでも充分ですよ。結局のとこ、この板自体が軍事ヨタの掲示板ですし。。

133 :名無し三等兵:03/06/02 23:23 ID:???
>>128

>>一方でそうとばかりは言えない人も幾らもいる。

小沢治三郎とかね

まあナポレオンはそれまでのものをブチ壊した人間であって。
ある程度、過去の事を教えるような士官学校よりも自分で考えた部分が大きいのではないだろうか


134 :名無し三等兵:03/06/02 23:24 ID:???
>>130

え、そうなの?
本による知識は満たされないが空腹は水さえあれば満たされる
とか言ってなかったっけ?

135 :名無し三等兵:03/06/02 23:25 ID:???
>>125
民族の誇りやら愛国やらより。市民が一番に欲するのはパン(食料)と
サーカス(娯楽)だよ。それが満たされると現状に不満があろうとも、
一応の我慢はするものです。
日本の朝鮮統治が36年間の間、一時期を除けば非常に上手く行ったのも
結局のところ。それが出来る余裕があったからですよ。

136 :名無し三等兵:03/06/02 23:27 ID:/26+FJz2
小沢は歴史初の空母機動艦隊 創始者との認識でよいのか?

137 :名無し三士:03/06/02 23:28 ID:yg5QcohN
すごく勉強してるみたいね。
バルチック艦隊の一件はそういう偶然の産物という見方もあるわけね。
初めて知りました。しかし、それを聞いて日本がなるべくしてなった過程
がわかるような気がします。
 それとはちがくて、”わが闘争”読んだ派?私は読んでないので、読もうと思う派。

138 :名無し三等兵:03/06/02 23:28 ID:???
>>133
過去の知識を蓄えるだけなら、それはデーターベースにした方がずっとマシ
そうした知識をもとに現状に即した発想が出来る人間が本当の天才でしょう。

139 :名無し三等兵:03/06/02 23:28 ID:???
小沢は航空機の有効性を説いていたがいまいちスペックヲタ的な判断をする人だと思った。


140 :名無し三等兵 :03/06/02 23:29 ID:???
>>134

軍事の勉強という意味だよ(w
むしろ他の軍人より読書家ですよ。

141 :名無し三等兵:03/06/02 23:29 ID:???
>>137

偶然ではなかろう。

142 :名無し三等兵:03/06/02 23:31 ID:???
ナポレオンは軍事よりも政治面のほうがすごいと思うのは俺だけか?
あの時代の名将はやはりタヴーだろう。

タヴーについて書いてある本を紹介してくれる人は頼もう。
偉そうな事を言ってもイマイチ断片的にしか知らない。

143 :名無し三等兵 :03/06/02 23:32 ID:???
>名将はやはりタヴー

そりゃそうだ。負けたこと無いもん。

144 :名無し三等兵:03/06/02 23:33 ID:???
>>137
いや。偶然の産物ではなくて、日本海海戦で勝利を収めることが出来たのは
政略戦略面で当時の日本がロシアと互角以上の立場を得ることに成功してい
たから、そうゆう必然の面もあるって言いたいのです。

もちろん東郷平八郎の丁字戦法という常識破りの奇策があって勝利を収めた。
本人が認めていた通り。奇跡と呼べる面もありますが、その奇跡だの、奇策
だの戦術の勝利ばかりで語っては駄目ってことが言いたいわけです

ちなみに私は「我が闘争」は読んでいません。
どんなことが書いてあるかは興味がありますけど、それよりチャーチルの回顧
録を先に読みたいです

145 :名無し三等兵:03/06/02 23:33 ID:???
小沢は自由な発想をしろとよく騒いでいたらしいが。
正直現実を超えた妄想はイクナイ!と思う。

146 :名無し三等兵:03/06/02 23:35 ID:???
我が闘争は本当にオナニーだよ。
まあ読めばわかる。

しかも全部読めたら相当の精神力の持ち主だ!!

147 :名無し三等兵:03/06/02 23:35 ID:???
>>145
それは小沢より亀人に言ってやるべきだと思う。

148 :名無し三等兵:03/06/02 23:36 ID:???
>>147

それはあの当時の日本のトップ全員に言えた事だと思う(w

149 :名無し三等兵 :03/06/02 23:39 ID:???
他の手段が無かったんだよ。小沢・・・

150 :名無し三等兵:03/06/02 23:40 ID:/26+FJz2
>>145
燃料切れで飛行機が落ちていったアウトレンジ戦法のこと?

151 :名無し三等兵:03/06/02 23:42 ID:???
マリアナは戦闘機の割合をもうちょっと増やすべきだったのではないか?

アメリカが攻撃機:戦闘機=1:1であるに対して日本は2:1の割合ではないのか?

あとは乗員の錬度をアウトレンジしてしまってはどうしようもない。

>>145の言う事がなんとなくわかる。
>>138の言うように現状にそくしてないとダメなんだよな。

152 :名無し三等兵:03/06/02 23:48 ID:???
タヴー記念age

153 :名無し三等兵:03/06/02 23:49 ID:???
ナポレオンは良く勉強してるとおもうけどなー
ガリア戦記とか研究してなかったっけ?

>121

期間はどうかは知らないけど、フィリポスが行ってきた諸兵科統合
徹底的に活用したことを見ると理解はきちんとしていたんでは?

154 :ルイ=ニコラ・ダヴー:03/06/02 23:50 ID:???
ttp://kodaman-empire.kir.jp/Napoleon/n-g01.html
転載禁止らしいけど…

155 :名無し三等兵:03/06/03 02:43 ID:???
>>151
マリアナ海戦当時では、日本側が200機 米国側が350機くらいだったか
しかも日本側の戦闘機は、当時、世代遅れになっていた。
そんで一方的に叩かれたわけだが。。
F1支援戦闘機に乗った空自幹部が、こんなの乗せて実戦に出したら
マリアナ海戦の再来だ。大事な部下をそんな目に合わせるわけにはいかない
そんなことを言っていたのが懐かしく思える。。

F2支援戦闘機でそんな感想が漏れないことを願うだけだ

156 :名無し三等兵:03/06/03 02:46 ID:???
>>155攻撃機は一流だ(*゚Д゚)ゴルァ!

157 :名無し三等兵:03/06/03 10:16 ID:???
>>146
ヒトラーの自叙伝のようなものだからね

158 :名無し三等兵:03/06/03 10:41 ID:???
>>148
当時の日本海軍に限らず。日本の中枢の悪癖として、似たようなタイプの
人間ばかりがトップに立った。
その状況で自由な発想など出来るわけがない

159 :名無し三等兵:03/06/03 10:48 ID:???
>>156
意味がわからない

160 :DVD:03/06/03 10:52 ID:W5Z60PRi
あれっ!昨日頼んだのにもう来てる本当に安かったのでびっくりしました


http://ime.nu/ime.nu/ime.nu/www.net-de-dvd.com/


161 :名無し三等兵:03/06/03 15:36 ID:???
>>154
ネットギャンブルはうざい

162 :名無し三等兵:03/06/03 17:49 ID:VRohpWoP
>>159
天山や彗星はすばらしかったのだよ。
あとは搭乗員がよければ、ね・・・

163 :動画直リン:03/06/03 17:53 ID:GY3QD9xM
http://homepage.mac.com/hitomi18/

164 :名無し三等兵:03/06/03 21:02 ID:???
急降下爆撃機はよかったね

165 :名無し三等兵:03/06/04 10:23 ID:???
戦争は二次元から飛行機の出現で三次元になる。
誰が言ったのだっけ?

166 :名無し三等兵:03/06/04 18:15 ID:???
いしわらかんじ

じゃないの

167 :名無し三等兵 :03/06/04 21:23 ID:???
>>162
その搭乗員たちに育つチャンスを与えられなかったのが問題。
もちろん上層部の責任。
今も同じだ罠。バブルの失敗をした連中が、自分たちは「失敗学」とやらを唱えて安泰。
2ちゃん世代はリストラ失業に怯えるw

168 :名無し三等兵:03/06/05 02:02 ID:???
>>167

チャンスを与えるも何も。どうしようもなかったと思われ。

169 :名無し三等兵:03/06/05 11:41 ID:???
>>167
戦局の悪化で充分な訓練期間も与えることが出来ずに出兵させたのも問題でしょう。


170 :名無し三等兵:03/06/05 13:40 ID:???
>>168
そんな状況にしちまったのは誰だ?って話になる、官僚(軍人)と政治屋の責任だよ。
いわんや今の五十代の連中も…

171 :名無し三等兵:03/06/05 22:00 ID:???
>>170
ジジイどもが上にふんぞり返り、自分たちの年代は人が多く競争過多…
あの年代の人が多いのは、連中自体のせいではないんだがな。
そんな状況で、焦りがあったんだよ<今の五十代の連中
企業社会の中で先が見えてきてなおさらな。

だから、景気が過熱だろうがなんだろうが、自分の業績を上げること/上げさせることに血道をあげちまった。

しかし、あの連中は、経済全体をミスリードした。
その結果が今の惨憺たる経済状況だ。
その罪は罪。
五十代以上の自殺が増えようが何だろうが、全然同情しないが。

172 :名無し三等兵:03/06/05 22:46 ID:???
愚痴は他所行ってやってくれ

173 :名無し三等兵:03/06/05 23:38 ID:???
日本史上の天王山、日本海海戦!
次の沖縄決戦とか色々あるけど、イマイチ萌萌にならないな。

174 :名無し三等兵:03/06/06 15:51 ID:???
556 名前:世界@名無史さん 投稿日:03/05/31 09:33


日本は朝鮮出兵の重要な敗因の一つである補給線の失敗を研究しなかった。
太平洋戦争の重要な敗因の一つである補給戦の失敗を研究してなかった。

つまり400年近く日本は同じミスをしていると個人的に思う。
しかも自衛隊は日本本土で戦うものだから余計にそういう研究はしない。


557 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 09:48
まあ中世の軍の補給は現地調達が基本だろうが
補給線の防護と言う概念が出来たのは何時頃なのだろうか
(現地調達が困難な弾薬等が切れた場合は
 其れをどの様に調達していたのかだろうが
 一旦拠点迄後退していたのか
 或いは別の軍に輸送させていたのだろうか)

朝鮮の場合は補給線がやられたと言うより
海上を移動する軍自体がやられたと言う事ではないのか
(兵站線を防護しなかったと言うより
 海軍力自体を敵の海上での襲撃に備えて
 最大限増強しなかったと言うのが正解だろうか)



175 :名無し三等兵:03/06/06 15:52 ID:???

558 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 09:52
三国志でも物資は軍と共に移動して
物資単独で輸送を行ったと言うのは記憶に無いし
兵糧はある程度は携行されるだろうが其れが切れれば現地調達
・矢が切れたら別の軍に運ばせるか
或いは軍を自軍の拠点に後退させると言う方向だっただろうか

秀吉が小田原を攻略する際には兵糧を海上輸送したが
これは現地調達では足りないと見ての事でだろうか
(敵の襲撃の可能性が有れば
 海上の輸送船に護衛は付けたのだろうか)


559 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 10:00
>太平洋戦争の重要な敗因の一つである補給戦の失敗を研究してなかった。

まあ只米の潜水艦を利用しての通商破壊が始まったのは
(Uボートにやられていたにも拘わらず米の戦略ミスで)かなり後期からだろうし
其の段階では物量の差で護衛艦や哨戒機等配置しても
敵の正面戦力に排除されるので補給線を守る事等無理だっただろうが
通商破壊の防護以外にも補給のミスは目立っただろうか
(其れでも伊−201で米の補給線を突けば
 独のU−21等の投入も有るなら講和に持ち込めた可能性は
 有るとの意見も有るだろうか)


176 :直リン:03/06/06 15:52 ID:iyBzWN/5
http://homepage.mac.com/yuuka20/

177 :名無し三等兵:03/06/06 15:53 ID:???


560 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 10:07
まあそもそも補給線への攻撃と言う概念が出来たのは
何時からなのかと言う事だろうが
補給線では無く敵の兵糧を焼き払うと言う事なら
三国志でも行われただろうか
敵の食料庫ではなく補給線への攻撃と言うのは
事実上Uボート等での通商破壊が最初なのか
或いは英国のドレーク等の敵国商船への海賊行為迄
補給線への攻撃に含めるべきなのだろうか


561 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 10:14
まあそもそも補給線と言う概念が出来たのは
何時なのかと言う事だろうし
Uボートや通商破壊艦等が登場したWW1以前には
存在したのかと言う事だが
海上では無く陸上の補給線を最初に叩いたのは
WW2のアフリカ戦線の英軍辺りだったろうか


562 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 10:21
米英も初期にはUボートは防げておらぬし
何れにせよ米英の様に正面戦力が無いと護衛艦や哨戒機を配置しても
撃破されるだけだろうか



178 :名無し三等兵:03/06/06 15:53 ID:???

563 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 10:35
兎も角中世に日本以外の国には
海賊対策は兎も角補給線の防御と言う概念が有ったと言うのは
恐らく幻想だろうし
秀吉の小田原攻めでの大部隊を長期に前線で維持する為の
海上からの大量の物資の補給は
他国では行われていたのかだろうが
中国にも細い山道を通って補給物資を輸送する為の
一輪車の様な物は有っただろうが
他に補給能力を増す様な工夫は西欧諸国等には
有ったのだろうか



564 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 10:42
まあしかし日本がWW2の初戦から潜水艦を用いて通商破壊をしておれば
米の迎撃体制が整う迄時間は稼げたかも知れぬが
これはどの程度だろうか





179 :名無し三等兵:03/06/06 15:53 ID:???
565 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 12:02
>朝鮮の場合は補給線がやられたと言うより
>海上を移動する軍自体がやられたと言う事ではないのか

まあこれに対して如何成る対策が出来たのかと言う事だろうし
日本船の大砲装備率を増すか
或いは海上の兵力は出来るだけ纏まって行動させると言う方向なのだろうか
(まあ只日本の船全てを集めてこれを一斉に行動させたとしても
 かなりの損害は出ただろうし
 囮等を使うのでも無ければ纏まって行動した上で大砲装備率を増すしか無かっただろうか
 或いは朝鮮水軍の迎撃も彼等が隠れていそうな場所を迂回する等すれば
 逃れられた可能性は有るのだろうか
 海上での戦いは避けて地上戦に勝利し続ければ勝てたかも知れぬが
 確か朝鮮側が港への攻撃を掛けていたかも知れぬが
 別に港で無く共兵力は陸揚げ出来ただろうし
 港以外の場所から兵力を陸揚げすれば良かっただろうか)



180 :名無し三等兵:03/06/06 15:54 ID:???

566 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 12:23
まあしかし10万単位の兵を動かすのに
食料が現地調達のみで足りたかと言う事だが
兵力を分散配置するか
一点に集中して略奪して移動を繰り返せば
食料も現地調達のみで済んだ可能性は有るだろうか
(小田原攻めの様に前線に食料を大量に輸送しようと言う計画は
 有ったのだろうかと言う事だろうし
 弾薬は現地調達は不能だろうか)


567 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 12:52
兵力を2手に分けて
片方は食料を略奪し城に持ち込む事を繰り返し
片方は城内の食料を守る為に篭城すると言う事をすれば
弾薬等無く共かなり持久戦は
可能だっただろうか


568 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 13:06
15万を2隊に分けて
片方は城に篭らせ
(まあ城の方の兵力は敵を支えられる程度に少なくても構わないだろうが)
片方は城の外に出て食料を奪わて城に帰還する事を繰り返せば
良いだろうか
(城に5万・外に10万程度の兵なら
 外で兵が襲撃されても恐らく保つだろうか)
                                                                

181 :名無し三等兵:03/06/06 15:54 ID:???
個人的に結構面白い話だと思ったので張ってみました。
                   

182 :名無し三等兵:03/06/06 17:56 ID:???
日清日露も比較的に防衛的な要素の強い戦争だった。
それ以前の戦争は秀吉の半島出兵以外は国内に留まるものがほとんどだったし。
どちらも朝鮮半島を巡る戦いと言っても、それぞれ補給路はあったからね。
しかし太平洋戦争は、大東亜戦争と呼ばれる通り。
地球のほぼ半分にまたがる広大な範囲で争われた。
これでは従来の補給の構想で何とかなるわけがないってことだ。
人間ってのは実際に教訓が無いと反省は無いモノで、欧米の場合は植民地時代も長く
ナポレオンの遠征など長距離の遠征の教訓があったからそれが出来たのではないか?

183 :某研究者:03/06/06 18:33 ID:4AypKMzn
シーレーン防衛と言うより主力艦隊の対潜能力が
無いのが戦争前半では問題だろうし
後期には制空権も無い状態であるなら
シーレーン防衛等護衛艦や哨戒機を配置してさえ不能だろうか

184 :名無し三等兵:03/06/06 22:25 ID:???
>182
そもそも戦略構想とかの時点で狂っていたけどね。
短期決戦を目指しながら、長期持久の体制を建設するとかいってるし。
しかし、いつも不思議に思うのは陸軍、海軍とあんなに優秀な人材を
集めてどうして、補給の軽視、攻勢限界点の無視といった
基本的なミスを犯すのだろうか?


185 :名無し三等兵:03/06/06 22:30 ID:???
>>184
官僚機構という歪曲時空が問題だよ。
この特殊な領域においては、偏差値70超&人格円満な人間でも、2ちゃんDQNと同程度の知力と人格しか発揮出来ない。
官僚や軍隊が学歴、順位にこだわるのは、それ故だ。我々凡俗ではあそこに一歩踏み入れた瞬間、能力は白痴レベルに低下する。

186 :名無し三等兵:03/06/06 23:51 ID:???
官僚の世界に東大卒が優先される学閥がある以上は仕方がない。。
しかし東大卒だからと言っても実務が出来るとは限らないのは、民間企業の中枢にいるのは東大出
ばかりではないことでも明らかだが

187 :名無し三等兵:03/06/07 04:16 ID:???
>>184

>いつも不思議に思うのは陸軍、海軍とあんなに優秀な人材を
集めてどうして、補給の軽視、攻勢限界点の無視といった
>基本的なミスを犯すのだろうか?

それは結果論ではないかな。
今でこそなんでそんな事が・・・
と思うわけだが。あの当時の日本では本格的な遠征はした事がないわけだし。


188 :名無し三等兵:03/06/07 04:27 ID:???
>>184
ヤパーリ経験が無さすぎたのかも。

189 :名無し三等兵:03/06/07 09:36 ID:???
>>184
集団心理ってヤツでね。周囲がそれに騒げばなかなか反対意見なんて言えないものだよ。
石原完爾や山本五十六を初め。名だたる名将の多くが反対していのだから、それに従えば良いものをってのは結果論。
そもそも優秀な人材を集めていても、教育制度がよろしくなかった。
陸士学校などで教えるのは、精神論が中心。戦術も日本海海戦で東郷がやったような奇策を中心に教えていた。
いまの防衛大学校ではその反省から科学など理系を中心に教えているが
これも誕生と同時に清露米英など、自国より遙かに国力のある国と対峙しないといけない宿命にあった帝国海軍の悲劇
と言えるが、正攻法をお座なりにしたのはどう考えても不味かった。
だから真珠湾攻略の時も二次攻撃は断念したし、ソロモン海戦でも不可解な反転を行った。
その裏事情に当時の海軍も海士学校での教育は、奇策のたぐいばかり重視したことがあったようだ

190 :名無し三等兵:03/06/07 11:55 ID:???
奇策を海軍で教えようとしたのなんて。
小沢の馬鹿くらいだろ。

それ以外はある程度当時としては常識的なことを教えていたのでは?

191 :名無し三等兵:03/06/07 12:11 ID:???
小沢が馬鹿?
どこが?


192 :名無し三等兵:03/06/07 15:17 ID:???
戦争になれば補給も考えずにただ前進
南方戦線全体が奇襲みたいなものだったが

193 :名無し三等兵:03/06/08 02:10 ID:???
ケケ・・・。

194 :名無し三等兵:03/06/08 10:22 ID:???
軍事板的には塩野七生ってどうよ?
世界史板では叩かれてるけど・・・

195 :名無し三等兵:03/06/08 10:56 ID:???
しょうがないよ。七生タソだもん。

196 :名無し三等兵:03/06/08 11:21 ID:???
>>189は軍ヲタ1年生

197 :名無し三等兵:03/06/08 12:30 ID:???
軍事的にはいまいち。
やはり、有坂純とかのほうが・・・・・

198 :名無し三等兵:03/06/08 22:42 ID:???
塩野七生?
知らない名前だ

199 :名無し三等兵:03/06/08 22:57 ID:XBWOgy/f
>>198

厨房、おまえ本読まないだろ。

200 :名無し三等兵:03/06/08 22:58 ID:???
とりあえず200ゲット

201 :名無し三等兵 :03/06/08 22:58 ID:???
200get

202 :名無し三等兵:03/06/09 03:52 ID:???
ナポレオンの天敵のネルソン提督。。
彼の遺髪が東郷平八郎、山本五十六と共にあるって話だが。


203 :直リン:03/06/09 03:53 ID:wc4FfJRB
http://homepage.mac.com/yuuka20/

204 :名無し三等兵:03/06/09 09:58 ID:???
ハンニバルは映画のハンニバルではなく
ローマ帝国と戦ったカルタゴのハンニバルだよね
アルプス越えは有名だけど

205 :名無し三等兵:03/06/09 10:28 ID:???
>>204
いや…まあ、なんつーかな…

確かに、今や、ハンニバルといえば、ハンニバル・レクター博士の方が有名かもしれないがな…。
それと、必ずしも、軍オタであることが、世界史的教養の深まりとは直結しないのかもしれないがな…。

塩婆の著作でいいから、いっぺん、本当のハンニバルの事績には、触れておいた方がいいぞ。

「アルプス越え」だけじゃないから、有名なのは…。

ハンニバルとハンニバルと争ったローマのスキピオを評して、塩婆は、
「古代史上の名将を五人あげろと言えば、二人とも必ず入り、
 現代までの名将を十人あげろと言っても、入る可能性が高い」
と評価している。彼女の著作は色々問題もあるが、この言は正しかろう。

因みに塩婆とは塩野七、読むべき著作は『ハンニバル戦記』(ローマ人の物語というシリーズものの第2巻)

206 :名無し三等兵:03/06/09 17:47 ID:???
ハンニバル戦記は(・∀・)イイ!!

207 :名無し三等兵:03/06/09 19:26 ID:???
>>205
ハンニバルが使った象さんは、いまは絶滅しているペルシャ象だったな。
人間の戦争に巻き込まれた挙げ句殺されるなんて可愛そうだ罠

208 :名無し三等兵:03/06/09 19:54 ID:???
漢人部隊である黒旗軍はすごい!最強の名にふさわしい。
列強がアジアを植民化していた時代、仏軍の司令官二名を敗死させ壊滅させた強力な軍である。
日本が日露戦争で列強の一つ露西亜を負かした以前のことである。
中国は日本より優れていた証である。
日本人は奢らずこの事実を厳粛に受け止めなければならない。

209 :名無し三等兵:03/06/09 19:56 ID:???
>中国は日本より優れていた証である。
極論 


210 :名無し三等兵:03/06/09 20:03 ID:???
というか>>208は史実なのか?
ソース希望!

211 :名無し三等兵:03/06/09 22:24 ID:???
>>205

スキピオは入るのだろうか・・・

212 :名無し三等兵:03/06/09 23:53 ID:???
>>211
入ると思うぞ。
スキピオの場合、単にハンニバルを破ったってだけじゃない。

武具の改良、そして、軍団の戦列の運用方式を一新して、柔軟な展開が可能な戦術革新をもたらしていると思うが。

ザマの会戦における勝利は、従来からの三戦列方式を基礎にしながらも、何度も戦列歩兵の展開を変化させ、三方向からの半包囲態勢を作り上げて、最後のとどめに騎兵が背後から襲い掛かったというもの。
騎兵戦力の優越が切り札にはなっているが、ハンニバルよりも寡兵をもって、そうした状況に持っていったというのは、そうした戦術革新がベースにあったからと思うが。

さらには、不名誉な失脚に至るまで、ローマの外交方針を元老院の第一人者として長きに渡りリードし、大過なくローマの覇業を確定させたという点から、戦略家としても一級と思うが。

213 :名無し三等兵:03/06/10 05:08 ID:???
>>208
まあ。中国が欧米を敗退させたケースは確かにあるが

214 :名無し三等兵:03/06/10 06:04 ID:???
よく戦国時代の軍隊は当時の世界最先端の戦闘集団だったとか聞くけど実際はどう?
他の国には補給専門の将軍とか部隊って本当になかったの?

215 :名無し三等兵:03/06/10 08:15 ID:???
ハンニバル、アレキサンダー大王、スピキオ
カエサル、ポンペイウス?
うーんローマに偏っているな・・・・・。

216 :名無し三等兵:03/06/10 08:46 ID:???
ザマの戦いは兵力に関しては確かにハンニバルの
ほうが多かったようだが、寄せ集めもいいとこで
信頼できる部隊はイタリアからつれてきた部隊のみ
それに対してスピキオは自ら訓練して実戦を経験させた
精鋭、さらに騎兵戦力も優越していて・・・・・。

やっぱ名将ですな

217 :名無し三等兵:03/06/10 09:21 ID:???
ハンニバルが負けたのはローマとカルタゴの海軍力の差。
ポエニ戦争に対する両国の認識の違いが大きかったと思う。


現代までの名将10人と言った場合、漏れもスキピオは入れられないと思う。
スキピオはハンニバルの影響を受けて戦術を変えた面がある。
古代の名将と言えば入れられるが現代まで入れるとスキピオを入れるスペースはなくなると思う。



218 :名無し三等兵:03/06/10 09:24 ID:???
古代5人・・・そもそも古代っていつまでなんだろう。

219 :名無し三等兵:03/06/10 09:29 ID:???
>>216
スキピオは、イタリア本土やスペインに配置された精鋭部隊を連れて行くことはできず、
シチリアで自ら募兵する羽目になった。

シチリアでスキピオのまず配下になったのは、カンネの敗兵たちで、シチリアでの戦勝を経験してベテランぞろいの強兵となったものの、数は数千。
後は、スキピオのクリエンテスに連なる者や義勇兵同然で、戦意過大、戦闘経験過少の兵ばかり。
それを、訓練して、ほとんど実戦経験もないまま、カルタゴ本土に渡っている。
騎兵の優越はあったにせよ、戦列歩兵がロクでもない状況だったら、どうにもならない。

強兵を仕立て上げる…なるほど、やっぱり名将だ。

220 :名無し三等兵:03/06/10 09:32 ID:???
アレキサンダー、ハンニバル、カエサル、ベリサリウス、チンギス汗、サラディン、グスタフ=アドルフ、ルイ14世、フリードリヒ、ナポレオン

これで10人超えちまったよ。
中国の将軍、現代の将軍入れたら何人くらいになるんだ。


221 :名無し三等兵:03/06/10 09:37 ID:???
 ナポレオンとフレデリックを同列に並べるのはどうかとおもうが・・・。

222 :名無し三等兵:03/06/10 09:38 ID:???
ザマ戦ではローマ、カルタゴともに同数の兵力だが。

カルタゴは傭兵が多かった。
なんだかんだで正規軍主力のローマの方が強い。




223 :名無し三等兵:03/06/10 09:43 ID:???
騎兵が補充できなかったハンニバル。
これじゃどうしようもないだろ。

新たな戦闘教義を生み出したハンニバルだが、それをスキピオに真似されるような形ではどうしようもない。

224 :名無し三等兵:03/06/10 09:46 ID:???
象が暴れちゃってどうしようもなかったらしいな>ザマのハンニバル

策士、策に溺れるとはこのことか?

225 :名無し三等兵:03/06/10 09:49 ID:???
とりあえずお前らが思う10人を上げてください。

もちろん李舜臣は入るニダよね?

226 :名無し三等兵:03/06/10 09:59 ID:Mscgw21s
何を基準に名将とするかだ、問題は。

それ以降の戦争を変えてしまうような戦い方を開発した人を選ぶのか
それともその使い方がうまい人を選ぶのか。

227 :名無し三等兵:03/06/10 11:13 ID:???
ルイ14世、フリードリヒ、はちょっときついかもなあ。
グスタフ=アドルフも個人的には入れたいのだが
他の面子がすごすぎる

228 :名無し三等兵:03/06/10 11:46 ID:san9m2+Q
>>226
戦術の革命ってのは、日本の場合はやはり元寇だな
他にも戦車から騎兵を中心とした戦闘に移った騎馬民族の侵攻
戦術の革命が始まるのは異民族の侵攻がきっかけの場合もあれば
新しい兵器によるものもある。
名将一人がどうのとは必ずしも言えないと思いますが。。

まあ、山本五十六あたりは航空戦術の優位性を確立した意味で、戦術に革命をもたらせた名将と言えるかもしれないが
それにしても欧州戦線での前例があったからことのことだ

229 :名無し三等兵:03/06/10 11:50 ID:???
>>228
いや、古代日本にとっては白村江の大敗は、特筆すべき。
一説には、古代日本の歩兵戦術が、大陸の騎馬戦術に大敗したうえ、海戦も大負けして、戦略的力を失ったらしいが。

230 :名無し三等兵:03/06/10 12:49 ID:???
>>220
>中国の将軍

あげなかったのは、漢字出すのが面倒になったからか?(w

231 :名無し三等兵:03/06/10 12:55 ID:???
中国の名将っていったらだれだろうね
孫武ははいると思うけど。

232 :名無し三等兵:03/06/10 13:12 ID:???
孫鬢

233 :名無し三等兵:03/06/10 13:49 ID:PbhN1t27
>>231
>>232
孫武は有名な孫子の作者であり。孫鬢の先祖だ。
それだけに知名度は高いが、実際に何をやったかとなれば、逸話が一つ二つ残っているだけだよ。
孫鬢の方も孫鬢兵法書を残しているが、近年遺跡から発見されるまで失われており
歴史的にほどんど影響を与えていない。

もっとも中国も戦乱の歴史だから、その時代その時代に記載のある名将がいるが。

234 :名無し三等兵:03/06/10 13:50 ID:???
衛青と、キョカクヘイ(ごめん、漢字を忘れてしまった)

235 :名無し三等兵:03/06/10 14:14 ID:???
>>234
霍去病 かくきょへい

236 :名無し三等兵:03/06/10 14:19 ID:???
 「戦果」という点で、ドンパチだけが「将軍」の能力ではないと考えれば、コンキスタドール達
も忘れるわけにはいかないのでわ。

237 :名無し三等兵:03/06/10 15:01 ID:???
>>231
楽毅(がっき)

祖国・中山の滅亡に際し、寡兵で超大国に徹底抗戦し王を守りぬき、
斉に痛めつけられた燕に迎えられてからは、燕王に報いるために、斉を滅亡寸前までに侵攻した名将。
諸葛孔明の尊敬する一人。


孫ピンは後世の「軍師」に相当する。 孫子の2人とも、自身の手による兵法書をのこしていない。
兵法書として残っているのは、門下の弟子や、後世の曹操などの研究家によるもの。

特に孫ピンの功績として挙げられるのは、2000年以上前に「戦争」「戦闘」論から迷信を排除し、
科学的・軍事的要素のみで理論化・体系化したこと。
さらに、斉の軍政や兵器・戦闘を改革し、対秦連合の核とならしめるほどの基礎を築いた功績は大きい。

また、楽毅の燕軍による大侵攻から巻き返しを図った田単も孫子の門弟の一人。


238 :名無し三等兵:03/06/10 15:11 ID:???
>>237
>特に孫ピンの功績として挙げられるのは、2000年以上前に「戦争」「戦闘」論から迷信を排除し、
>科学的・軍事的要素のみで理論化・体系化したこと。

その意味では、中世ヨーロッパの方が、遅れているのかもしれないな。
迷信とまではいかないが、少なくとも「表向き」は宗教的倫理から自由にはなれなかった。
明け透けに倫理・道徳抜きで、軍事・政治を論ずるには、マキャベリの著作をまたなきゃならなかった。

239 :名無し三等兵:03/06/10 19:06 ID:MF7wl5oZ
霍去病は、漢の武帝の時代にキョウド討伐の名将として鳴らせた人物だが。。
実際のところ。武帝は皇妃の血族である霍去病に対して精鋭部隊を与えたので、必然的に功績を立てただけ。
それが本当のとこらしい。
まあ。それでも精強な部隊を与えられながら、まったく功績を立てなかった将軍もいたのだから
それなりの能力がないと功績も得られなかったでしょうが。
霍去病の能力に関しては、割り引いて考えた方が良いな。

240 :名無し三等兵:03/06/10 20:32 ID:???
衛青と霍去病
どちらも名将だが霍去病がいなくても
対匈奴ではさほど影響が無い気がするが
逆に衛青がいないと下手をすると大敗
してた気がする・・・・。



241 ::03/06/10 22:27 ID:o5e79X/0
ハンニバルが負けたのは、アルプスを越えてから約十年も戦い続けてから。
最初30代だった兵隊もカルタゴに戻った時には40代。体力とスタミナは
若い者に劣り始めている罠。・・・・と、がっこの先生が言ってました。

所で、ローマからカルタゴに戻るのを拒んだ(反対した)兵士を
結構かなり、処刑したらしいと聞いたんだけどホント?


242 :名無し三等兵:03/06/11 03:58 ID:???
太平洋戦争でもアメリカは捕虜は取らないと、かなりの日本兵を殺害した。
明かに戦時国際法違反だが、戦勝国の側はそれを処罰し
敗戦国は何も言えない。これが現実

243 :名無し三等兵:03/06/11 04:58 ID:???
>>241
逆ですな

244 :キョカクヘイ厨:03/06/11 10:09 ID:???
カクキョヘイか、すまん。回線で首つってくる。

245 :名無し三等兵:03/06/11 10:16 ID:???
>>241
>>243のいうように、逆でね…

船のキャパとかもあって、4万くらいの兵のうち、
1万5千のベテラン中のベテランだけ、連れ帰ったんだよ。

ガリアやハンニバルに転んだイタリア半島内での徴募兵を中心に、
置き去りにすることにした。
というか、置き去りにせざるを得なかったんだな。

で、ハンニバルとベテランたちが船に乗って出航しようとする。
置き去りにされる方はたまったもんじゃない。
ハンニバルがいるから、ローマ軍とも戦えて来たわけだし、
復讐心にたぎるローマ軍の中に取り残されたら、もうお終いだと思うわな。

で、残されることになった兵隊たちは、海に飛び込み、
船にしがみつき、舷側を這い登ろうとするものさえ続出した。
船のバランスも崩れかねないので、
ハンニバルはそれらの兵隊たちを射殺すように命じた。

246 :名無し三等兵:03/06/11 10:50 ID:???
>>242
深夜に釣りとは風流ですな。

247 :名無し三等兵:03/06/11 13:35 ID:???
夜釣りだろ

248 :名無し三等兵:03/06/11 14:09 ID:???
超遅レスの上にスレ違いだが、>>36、一体どうやったらそれがハングルに見えるのかと小1時間(ry

249 :名無し三等兵:03/06/12 09:53 ID:???
>>227

確かに。ルイ14世とフリードリッヒはゲームの達人という感じなんだよね。
それに対してグスタフ=アドルフはそれ以降、野戦軍に対して大砲を運用するという考えを普及させたからな。

>>228

>>名将一人がどうのとは必ずしも言えないと思いますが

時に奇抜な考えを持ちそれ以降の戦争を変えてしまう人間は存在すると思う。
異民族の使っている戦法、新兵器の運用法、それらを受け入れ、体系化出来る人間は少ない。



250 :打通太郎:03/06/12 11:44 ID:???
このスレは世界の歴史的な戦争を語るスレらしいが。
世界的な名作戦として打通作戦は欠かす事が出来ないだろう。

251 :名無し三等兵:03/06/12 14:08 ID:???
グスタフアドルフね
惜しむらくは戦場で散るのが早すぎた。
生きていれば、もっと多くの会戦で勝利を掴んだだろう
ただ、あのまま生きてても30年戦争に勝ったかどうかは疑問。
そういう意味ではハンニバルに似ているかも・・・・・・




252 :名無し三等兵:03/06/12 14:39 ID:???
>>251

あの戦争の勝者ってどこよ?

253 :名無し三等兵:03/06/12 16:02 ID:???
>>252
自国を戦場とせず、国威を伸ばしたという点では、フランス。
あと、独立を獲得したということで、ネーデルランドとスイス。

神聖ローマ帝国は、この戦争で一気に破局への道を進み始める。

ドイツ諸侯は、自治権を大幅に伸ばしたとはいえ、戦争のダメージが大きく、勝者とは断じ切れない。
他の参加国は、痛みわけ…つーとこ?

254 :名無し三等兵:03/06/13 03:03 ID:???
>>253
フランスは普仏戦争以来、常に負け続けている
それでもおいしい思いをしているのだから。
あの外交センスには負ける

255 :名無し三等兵:03/06/13 19:30 ID:???
>254
そのくせ、ナポレオンがいたときは
外交が全然だめだったんだよなあ。
やっぱ、何事もほどほどがいいんですかね

256 :名無し三等兵:03/06/14 14:13 ID:???
フランスが全ヨーロッパを席巻したのは、近代ではナポレオンの時代くらいかね?
他の時代では、ドイツやイギリスに常に小突かれまくっている

257 :名無し三等兵:03/06/16 12:12 ID:???
日本の歴史上の戦争では、もっとも劇的なのは関ヶ原の戦いでしょうな。
あの戦いは、戦術的に見れば、石田三成の側が圧倒していてもおかしくはない
高地に陣を取り。戦力も拮抗していたのだから。
しかし徳川側の圧勝だった。これは石田側大名の裏切りによるものだ。
もちろん偶然ではなく徳川側が、石田側の大名を密かに切り崩していた裏工作が功を奏したものだ。

戦争の勝敗を決めるのは、戦場だけではないって良い証だな

258 :名無し三等兵:03/06/16 13:51 ID:iOoVbEPA
.....

259 :名無し三等兵:03/06/16 17:10 ID:???
>>257
しかし、あの戦い、小早川の内応と、吉川による毛利全体の抑え込みが上手くいってたから良かったというシロモノでもあった。

家康は、秀忠に花を持たせるつもりで、徳川家の譜代の将のほとんどをつけて、中仙道に送り出した。
障害になりそうなのは真田家だけ。豊臣恩顧の大名が転ぶ危険性があった東海道よりも、安全かつ迅速に、
岐阜〜近江の主戦場に展開できる可能性があったからだ。

ところが東海道の豊臣恩顧の大名は上げて、豊臣家の君側の奸を除くという態度をとった。
一方、秀忠は、真田昌幸・幸村親子の篭城にてこずって、戦場に大遅刻。

結局、西軍を叩いた家康の主力は、黒田、福島ら、豊臣恩顧の戦場経験豊富な将の部隊だった。
また、毛利家の万一の攻撃に備えたのは、豊臣家の親類筋で旧五奉行の浅野。
さらには、九州での黒田如水、加藤清正の大活躍…。
そして、彼らがその後、秀頼の後見に回った結果、彼らの発言権を何らかの形で封ずるまで、一気に豊臣の取り潰しに動けなくなってしまった。

そして、家康は、一連の大阪の陣まで、豊臣の排除は遅れに遅れ、ああいうなにふり構わないという手段をとらされる羽目になった。

勝ててよかったが、という戦いでもあったわけだ。

260 :名無し三等兵:03/06/16 19:00 ID:???
しかし家康方に内通していたのは、吉川広家だけではなかった。
小早川秀秋など家康に寝返ったし。
中枢を担った大名の大部分が、家康と通じていたと言っても過言ではない
これは秀吉の正室、ねねを家康が説き伏せたことも大きい。

実際に西軍で戦った兵士は半分程度、残りは戦況を傍観したり
最初から寝返ったりのどっちかだ。
これは老獪な秀吉に対して、もともと文官肌で軍人肌の他の大名とはそりの合わない光成。
人望の差の面も大きいだろう。


261 :名無し三等兵:03/06/16 19:12 ID:???
名目上の総大将 毛利
副将 宇喜多
実際の総指揮官 石田三成
とこんなに複雑な指揮系統じゃ
たとえ関が原で勝利しても最終的な勝利は不安。

前田利家、秀長のどちらかが長生きしてくれていれば・・・・・・。


262 :名無し三等兵:03/06/16 19:14 ID:???
実際には家康は大坂の陣で討死してるんだけどね。

263 :名無し三等兵:03/06/16 23:35 ID:???
>>262
そういう伝説はあるね。。
まあ。実証のしようがない永遠の伝説だが

264 :名無し三等兵:03/06/16 23:37 ID:???
>>261
しかもそれに淀君や豊臣秀頼も加わっている。
指揮命令系統を一本化出来なかったことも関ヶ原の戦いの敗因の一つ
そのことは確かに以前から称えられている

265 :名無し三等兵:03/06/17 06:09 ID:???
>>240
霍去病は、若いだけにかなり傲慢な気性だったようだ。
霍去病は、母親の姓を名乗っていることで分かる通り。奴卑の生まれだが、
彼が成長した頃には、武帝の姉の踊り子だった叔母は後宮に入り
皇后になっていたから、彼は最上級の貴族としての生活を行っていた。
それだけに戦場でも、横暴な態度が目立った。
戦地で兵士を酷使したし、武帝に対してもぞんざいな口を利いた。

皮肉なことだが、それだけに武帝は彼を気骨のある青年と評価したようだ。

266 :_:03/06/17 06:13 ID:???
http://homepage.mac.com/hiroyuki44/

267 :名無し三等兵:03/06/17 16:42 ID:???
>>263
いや伝説じゃなく、研究でも認められてきているよ。
大坂の陣後の家康の変わりようとかから確認されてきている。

268 :名無し三等兵:03/06/18 00:32 ID:???
しかしそれでは大阪夏の陣以降も、家康が大御所として実権を握っていたことの説明が出来ない。
確かに影武者が成り代わったとの説もあり。
その説に基づく小説もあるけど、私は否定しています

269 :名無し三等兵:03/06/18 17:12 ID:???
>>268
いや、実権とっても陣後で変わっている。

270 :名無し三等兵:03/06/18 22:09 ID:???
まあ、あの時点で家康が死んでても生きてても
あまり影響は無いような気がする。
すでに、秀忠がいるしね。
もし、秀忠が死んでたら・・・・

271 :名無し三等兵:03/06/18 23:15 ID:???
江戸幕府が長く続いたのは、幕府という組織がしっかり出来ていたためです。
それ以前の指導者は、信長にしても秀吉にしても、個人の才覚によるとこが大きかった。
それだから彼らの死後は、簡単に倒れたのです。


272 :名無し三等兵:03/06/18 23:17 ID:???
江戸幕府が長く続いたのは、幕府という組織がしっかり出来ていたためです。
それ以前の指導者は、信長にしても秀吉にしても、個人の才覚によるとこが大きかった。
それだから彼らの死後は、簡単に倒れたのです。
しかし家康は違っていた。組織の確立に成功したから江戸幕府は260年も続いた。
これだけしっかりと安定した政権があった時代は、日本の歴史上、江戸時代しかなかったからね。
それ以前は、天皇家にしてもお飾りの形になって、実権はコロコロと代わっていたからな。


273 :名無し三等兵:03/06/19 10:50 ID:???
>>272
あと、信長→秀吉と続いた検地と刀狩りによる兵農分離路線の完成も大きい。
戦国時代中から徐々に進められてきたわけだが、
それまでは、武士の大半=足軽は武装し、土地を与えられる農民だった。
信長の時代から検地が進められ、それに秀吉の太閤検地でそれが全国化し、
これに秀吉の刀狩が重なって、武士階級と農民階級の完璧な峻別が可能になった。

社会階層の安定化は、秩序維持に役に立つ。
さらに、本当の意味での農民は武装するチャンスを完全に失った。
一揆は起こるにしても、それはより容易に鎮圧可能なものになった。
農民反乱は、社会を根こそぎ転覆させる可能性を持つ。
少なからず大名の支配領域くらいは引っくり返し得る。

それが極小化した。
深刻な飢饉が起こる中期まで、大きく統治機構をいじる必要がなかったというのは大きい。

274 :名無し三等兵:03/06/19 11:39 ID:???
>>273
つか、刀狩、検地、そして法度による統治を、近世の始まりと見るらしいぞ。
それまで、地域地域の経済力に応じて、相応の軍事力と政治発言力をもった集団が、討伐したりされたり、合従連衡したり、連盟連合支配されたりしたのが、中世体制の最終末期=戦国だったらしい。
それが、卓越した軍事集団によって、その権威を否定されたと見ていいらしい。
以後、外国と自力通商が再開した幕末まで、地方は独自の能力で、全国体制に歯向かえなかったわけだ。

275 :名無し三等兵:03/06/19 15:54 ID:???
中国で長期安定政権だった時代、秦漢と隋唐。
二つの政権をくっつけて呼ぶことが多い。
これらの特徴として、前政権が必要なことを全てやってくれていた。
だから次の政権は長期安定政権を作ることが出来た。
秦がやった改革は、何れにしても必要なことだったが、秦は無理に無理を重ねて続けた結果。
民衆の恨みを買い滅亡。その後で続いた漢が、長期安定政権を作った。

隋唐も同じで隋がやるべきことを全てやってくれていたから、唐が長期安定政権を作れた。
豊臣政権と徳川政権にも同様の論理が成り立つ可能性は否定できない罠

276 :名無し三等兵:03/06/19 15:55 ID:???
>>275
まあそのとおりだろう。
ゆえに(?)徳川は豊臣を滅亡させる必要があったのだろうか

277 :スマイルα:03/06/19 22:32 ID:???
http://elife.fam.cx/a003/

278 :ベタ藤原 ◆RoMNjfnp0E :03/06/19 23:12 ID:???
>>267
>いや伝説じゃなく、研究でも認められてきているよ。
 研究で認められてきてるんなら、興味あるんで、レポとか、研究書とか読んで
みたいんだけど、タイトルとか、研究者の名前とか教えてくれない?

279 :名無し三等兵:03/06/19 23:46 ID:???
家康夏の陣死亡説は、その時死んだとされる家康を葬った墓もあるし
かなり以前から称えられていた異説ではある罠。。
しかし決定的な証拠ってのがないので、歴史学者のほとんどは無視していたはず

280 :名無し三等兵:03/06/20 07:40 ID:???
まっとうな歴史家なら無視するわな。
お話としては面白いけど。
ただ、家康ってあの年であんなに有利な状態でも
戦死する可能性がある場所に陣を張っていたのだから
戦人だよなあ。


281 :名無し三等兵:03/06/20 09:07 ID:???
>>280
まあ、家康って老獪な政治家ってイメージが先行しちゃうけど、
元々、若い頃は、今川配下で勲功抜群の戦術指揮官だったわけで。
それにプラスするところの三河家中の結束の強さ・士気の高さも手伝って、
小牧・長久手の戦いを見るように、「海道一の弓取り」「戦上手」だったわけで。
その辺、激戦となりそうな戦場で、どうすれば人が動くか、
つぼを心得てるってことでしょうなあ。

282 :名無し三等兵:03/06/20 10:36 ID:???
家康は幼くして織田や今川の人質となり。そこで冷遇され続けた。
かなりの苦労人だからな。
多分、人の顔色を見て育ったのでしょう。
それだけ用心深かったのだとは思うよ。


283 :名無し三等兵:03/06/20 10:38 ID:???
三河家中の結束の強さに関しては、どっちかと言うと後世に言われ出したことだ。
一向宗の争乱など、家康の家臣達の内紛はけっこうあったからね。

284 :名無し三等兵:03/06/20 11:26 ID:???
>>283
言われたのは後世かもしれんが、内紛・粛清(嫡男信秀の粛清など)を経て
>>281の小牧・長久手あたりは、ピークだったと思われるが……

あ、秀吉との和解直後、重臣の石川数正の出奔とかもあったか…(w

285 :名無し三等兵:03/06/20 18:40 ID:???
人生五十年、下天のうちに比ぶれば、夢幻のごとくなり。。
ちなみに下天ってのは、天上界の中では地上界のすぐ上の一番下の天のことだよ。
そこでも一日は地上の五十年とされている

286 :名無し三等兵:03/06/20 23:34 ID:???
カルタゴが滅び
ローマが滅んだ。
大蒙古帝国も消え去った。
永遠に続く世界帝国など存在しない。アメリカもいつの日か滅びるだろう。
しかしその時は、世界を支えていた柱が失われ大動乱になる。。
覇権国家なくして世界の安定が図られたことは、歴史上、一度もないのだから。。
果たしてアメリカの衰退の時までに覇権国家なくして世界が安定する時代が来るだろうか?

287 :名無し三等兵:03/06/21 00:51 ID:???
人々がなんらかの「帝国」=「秩序維持の名誉と利益と、そしてリスクとを負うもの」を欲すると思われ。
そして築くだろうと思われる。
それが近代以来今日までの主権国家・国民国家となるかどうかは不明。

288 : :03/06/21 02:12 ID:uRU7Gzlo
>>246

あれ?事実でなかったっけ?
「誰にも書けなかった戦争の真実」をよんでみて。
日本兵の遺体を損傷する米兵があまりに多いため云々という話が出てるよ。

アメリカ兵の残虐行為もけっこうあったみたいです。
勝者はそれを抹殺できるんですがね。

289 :名無し三等兵:03/06/21 03:31 ID:???
事実です。リンドバーグ従軍記を読めば良い。
アメリカ本土でも、米国兵が犯した戦争犯罪は、ほとんど問題にされないが
実際のところ。日本軍の占領地より強引なことが行われたそうです

290 :名無し三等兵:03/06/21 03:41 ID:???
勝てば官軍・・・

291 :ベタ藤原 ◆RoMNjfnp0E :03/06/21 06:18 ID:???
>太平洋戦争でもアメリカは捕虜は取らないと、かなりの日本兵を殺害した。
「日本兵捕虜は何を喋ったか」文春新書がお勧め〜
 あと「カラーで見る第二次世界大戦」(ビデオ)もな。
「カラーで〜」の方では、日本軍の水兵服を着て照れるアメリカ兵士。ふんどしを
締めてご満悦なアメリカ兵士と云う映像を見れるよん……
 で、この映像のバックにアメリカ兵が、国の彼女かなんだかに送った手紙が読み
上げられるんだが「ジャップの歯」と云うのが、一個1ドルで売られてたらしいよ。

292 :名無し三等兵:03/06/21 10:04 ID:???
沖縄戦では、逃げまどう民間人
多くの子供や老人を米国兵が面白半分に狙撃する姿が目撃され
わざわざ日本兵の死体を探して、その口に放尿した兵士もいたとか。

ブッシュ大統領は、国際刑事裁判所発足に合わせて、同裁判所条約の批准に拒否したばかりか。
各国に個別に圧力を掛けて、米国兵が訴追されないようにした。
米国も、見て見ぬ振りをしているが戦争犯罪が、国際法廷で裁かれるようなことになると、一番に被告が多いのはどこの国か?
それをよく知っているってことですよ

293 :名無し三等兵:03/06/21 11:23 ID:???
アメリカの待遇の良さに感動して日本捕虜が秘密を全部喋ったってのは嘘だったのか。(藁

294 :名無し三等兵:03/06/21 11:48 ID:???
後方のちゃんとした捕虜収容所に送られた後の扱いは全般に良かったらしいよ。
前線は殺気だってるからね

295 :名無し三等兵:03/06/21 13:46 ID:???
>>293
嘘ではないが、真実でも無いな。
アメリカだって捕虜を皆殺しにしたなら、捕虜として捕らえられた日本兵が、いまも生き残っているわけはない。
捕虜収容所に送られた幸運な方々は、ジュネーブ条約に則った処置を約束された人もいるでしょう。

アフガンの捕虜の扱いを見ると、それも少数のような気もしますが。

296 :名無し三等兵:03/06/21 14:09 ID:???
>>293-295
日本兵は将校も含めて軍事情報を敵に教えたらイカンという教育をされてなかったので
知ってることは気軽にしゃべった

297 :ベタ藤原 ◆RoMNjfnp0E :03/06/21 14:43 ID:???
>>296
 捕虜のなった以上、日本には帰れない。
  ↓
 帰れないなら、日本以外……アメリカで生きて行くしかない。
  ↓
 アメリカ人に心象を良くする為、知ってる事は率先して話した。

 ってこともあったみたいね。

298 :名無し三等兵:03/06/21 19:46 ID:???
日本軍は戦陣訓で、捕虜になることを禁止した。
捕虜になれば、国中から非難されて生きては行けなかったからな。
捕虜になった途端、死ぬか開き直るしか道はなかった

299 :名無し三等兵:03/06/21 20:05 ID:???
>>298
戦陣訓って投降禁止の強制力あったの?
問題の一節は「名を惜しむな」が題目なんだが・・・
自軍は投降せず、しかし敵の捕虜はとる・・・
というのは矛盾してないかい

300 :名無し三等兵:03/06/21 20:12 ID:???
>>299
強制力はない。戦陣訓に罰則規定はないからね。
むしろ戦闘哲学の教育物みたいな位置づけ。
つうかそこまでドキュソな組織でもあんめ。
んまあ、間接的には思考をしばったといえると思うけどね。

301 :名無し三等兵:03/06/22 01:47 ID:???
>>299
国に帰れば捕虜は、その家族まで裏切り者とされたそうだ

302 :名無し三等兵:03/06/22 02:37 ID:???
当時の民間人の考え方を明文化しただけともいわれているね。

303 :名無し三等兵 :03/06/22 04:17 ID:???
戦陣訓は「中国での戦局が思わしくないのは前線の将兵にやる気がないのが原因」と思った
陸軍上層部が作成した。実戦経験皆無の人間が造った戦陣訓は戦術的に日本軍を不利にした。

304 :名無し三等兵:03/06/22 07:21 ID:???
「生きて虜囚の辱めは受けず」ってのはどっちかっていうと民間で強く言われてたと聞く
国民が「敵国語禁止」と金切り声を上げていても、軍に入れば英語は溢れてたし、士官は英語必修

ルパング島の小野田さんは、
戦地に送り出す家族からの「虜に囚われる前に自害せよ」の言葉と
中野学校で習った「どんなに生き恥をさらしても、生きて戦いを継続せよ」って教えで
板挟みになって悩んだらしい

305 :名無し三等兵:03/06/22 12:31 ID:EpIaHa9T
てかソ連でも捕虜になった奴はイジメラレタらしいな。

306 :名無し三等兵:03/06/22 13:45 ID:???
日本の歴史的な戦争=日露戦争

307 :名無し三等兵:03/06/22 13:52 ID:???
日清戦争を忘れるな!

308 :名無し三等兵:03/06/22 14:19 ID:???
日露戦争当時、軍は捕虜に対して罰則は与えなかったが
兵士の故郷の人たちが、捕虜となった兵士を白目で見て不遇の扱いを与えたそうだ。
捕虜に日本軍が悪いことをしたと左の人たちは言っているけど。
実際のとこ。軍より民間がやったことだな

309 :名無し三等兵:03/06/22 14:24 ID:???
ああ、社会の問題か・・・
こういう倫理観がないと実際硫黄島みたいに文字通り死ぬまで戦えないかもな。
海外だと捕虜はヒーロー扱いだといわれるけど、実際どうだか。

310 :名無し三等兵:03/06/22 15:53 ID:???
アメリカは捕虜に与える勲章があるからね。。

311 :名無し三等兵:03/06/22 17:02 ID:???
>>289
リンドバーグって親ナチだろ。
っつーかリンドバーグは真珠湾攻撃直後に退役した筈だが。

312 :名無し三等兵:03/06/22 21:13 ID:???
小野田さんは、非正規戦を担当する。ナカノ学校び卒業生だったからな。
もとより友軍の再上陸までの敵陣の混乱を任務としていた。。

313 :名無し三等兵:03/06/23 02:31 ID:???
>>308
日露戦争では政略的な狙いで、国際法・国際慣習が遵守されたからな。
諸国民の同情と支援を得るべくヨーロッパ・アメリカ流の戦場作法に徹しようとした。
兵士たちの手帳には「我々は文明国として戦争を行っている」旨が書かれていたそうだ。

しかしエリート指導層と一般民衆との隔絶が問題だった訳で。
その後も歪みを正そうとしなかった指導層にも問題はあるし、悪ノリした昭和の軍部はもっと問題w

314 :名無し三等兵:03/06/23 02:52 ID:???
>>313
話の腰を折るようで悪いが、国際法と云う概念が確立したのは、第一次大戦後であり。
日露戦争当時は、まだ国際法そのものが存在しなかった。
日露戦争で日本軍が文明国に徹しようとしたのは、日本人らしくこれが文明国だ。
そんな幻想に追われて、それを守ろうとした結果でしょう。

315 :名無し三等兵 :03/06/23 10:41 ID:???
>314
幕末のころ、万国公法とかなかったかな?

316 :名無し三等兵:03/06/23 11:43 ID:???
国際問題に関しては、西欧の国際慣習で結論を下そうとする考えはあったでしょうが。
戦時国際法などなかったよ

317 :名無し三等兵:03/06/23 18:45 ID:3sDxKGI9
http://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/index.html
こんなん見つけたんで載せてみるテスト

318 :名無し三等兵:03/06/23 22:41 ID:???
何やこれ?

319 :名無し三等兵:03/06/24 03:05 ID:???
ふぉふぉふぉ

320 :名無し三等兵:03/06/24 08:32 ID:osIsMivn
>>220
ルイ14世は勘弁してくれ。こいつは実際に軍を指揮して戦った経験がない。
二次大戦最高の名将は?と聞かれて、ルーズベルトって答えるようなもんだ。
この時代のフランスからなら、ヴォーバンを選ぶべきかと。

321 :名無し三等兵:03/06/24 15:25 ID:???
>>220
どれもクセの多い司令官ばかりだ。こんな連中を集めたらまとまるものも、まとまらないような気がするが

322 :名無し三等兵:03/06/24 17:35 ID:???
>>321
まず、誰がトップになるかっていう権力闘争で半分はあぼーんだな。
で、その後も主導権争いがあり、あるいは、敵に分裂につけこまれて、
あと4人もあぼーん。
最後に残った一人が、絶望的な戦況の中で芸術的戦術を見せるが、
最終的に衆寡敵せず、壊滅させられるって具合になるんじゃないかな。

323 :名無し三等兵:03/06/25 12:26 ID:???
軍人のトップも色々あるが、マッカサーのような職業軍人で上流階級の出身ってのは、やはり傲慢なものだ。
まあ。職業軍人はどしても敵味方で物事を判断するクセがあるようだし
一般の国民とは考えが違ってくるな

324 :名無し三等兵:03/06/26 13:08 ID:???
>>306
>>307
日清・日露両戦争当時の日本は、対戦相手より明かに国力が劣っていた。
太平洋戦争中の日米が1対10とするなら、日露は1対100ではないかとさえ言われる。
それでも勝てた。

当時の清国やロシアは、国内が乱れてどちらも崩壊寸前だったからだ。
そして太平洋戦争当時の日本は、日本の方が軍閥や官僚制度が硬直化して手の施しようがない状態であり、アメリカの方は繁栄の絶頂だった。。
この差が大きいね。
ほれ。昔から「敵を知り己を知れば百戦危うからず」って言うでしょ。。
誠に至言だ。

325 :名無し三等兵:03/06/26 14:35 ID:???
>>324
つか、当時の技術水準での輸送力に、限りがあって、国力をうまく使えなかったからと思われ。

326 :名無し三等兵:03/06/27 02:22 ID:???
>>325
まあ。バスチック艦隊は、地球を半周する大航海にかなり四苦八苦したみたいやな

327 :名無し三等兵:03/06/27 03:24 ID:???
付け加えるとしたら当事のロシア兵の半数(75パーセント説も有)が文盲
日本では兵卒の中でも文盲は数えるほど、世界でも類を見ない高水準の教育レベルだった


328 :名無し三等兵:03/06/27 07:02 ID:???
>>327
日本語は50音しかないからね。
文字は漢字を別とすれば憶えやすい
その反面、同音異句が多くなり、馴れないと言葉がやりにくい。
一方で英語のようにスペルを多数、憶える必要がある言語は、日本語ほど簡単に文章が出来ないものさ

329 :名無し三等兵:03/06/27 08:29 ID:???
>>327
司馬遼太郎が学徒動員で軍隊に入って
大学生だからってんで、現役&第二乙の新兵に
軍人勅諭&戦陣訓の講義をさせられたときに
「徳川家康を知っている新兵が一人もいなかった」と、驚いたそうな。

昭和40年代に二等陸士として自衛隊に入隊した浅田次郎も
小隊内には「読み書きの出来ない仲間がいた」。と書いている。

つまり「識字率」とか「お勉強が出来るか否か」で
兵の優劣を決めることは出来ないってこった。
もって生まれた知能の程度はホモサピエンス同士である以上、互角!

330 :名無し三等兵:03/06/27 10:03 ID:???
>>326
バルト艦隊だけじゃない。
シベリア鉄道の苦労も忘れんなよ。

331 :劣等従者 ◆QCe2TI1.LU :03/06/27 10:40 ID:???
>>329
しかしモンゴロイドの脳は(以下略

332 :名無し三等兵:03/06/27 10:59 ID:HTxBhjXf
>>324
>日露は1対100

日本が100個でやっと対等だったの?そんなに差が?
日清はどれくらい?

333 :名無し三等兵:03/06/27 14:52 ID:???
家畜と奴隷の管理方法のノウハウがあるから将校未満は字が読めなくても、数が10まで数えられなくても大丈夫。
さらに、条件反射による家畜訓練の方法もとり入れているので、言葉が通じなくて何とかなる。



334 :名無し三等兵:03/06/27 15:00 ID:???
>>333
日本は農業で国を支えていたので、また家族を単位していたので、ここの人材の頭のよさが、それなりに重要だ。と、いってみる。
まあ、ひとを家畜扱いするような認識の香具師に言っても無駄だとは思うが。

335 :名無し三等兵:03/06/27 15:34 ID:???
>>332
日清についての資料はない。

336 :名無し三等兵:03/06/27 15:46 ID:???
>>328
>一方で英語のようにスペルを多数、憶える必要がある言語は、日本語ほど簡単に文章が出来ないものさ
識字率に影響を与えるほど難易度に差があるとは到底思えんが、
それを置いても教育をどれだけ受けているかどうか、ってのが本質だろ。

>>329
>つまり「識字率」とか「お勉強が出来るか否か」で
>兵の優劣を決めることは出来ないってこった。
ボクシングなんかじゃ教育の有無は関係ないだろうが、
戦争じゃ大有りだろ。基礎教育すらちゃんと受けてないような
DQN連中、統率取るだけで莫大なエネルギーを必要とするぞ。

337 :名無し三等兵:03/06/27 20:19 ID:???
白村江は範囲外??

338 :名無し三等兵:03/06/27 21:38 ID:???
>>337
白村江も入れても良いが、しかし詳細な戦史に関する記録があったか?
日本書紀に記されているくらいしかないと思うが?

339 :名無し三等兵:03/06/28 08:56 ID:???
平将門の乱で、将門はあっさり討たれたよね。
その理由として、将門が人望を失っていたことが上げられる。
そもそも一族内の争いだったのが、朝廷が東西で乱が起こる。
そのような予言を信じて、将門を追いつめたものだから、どうにもならなくなって
将門も王権をうち立てるようになった面があるようだけど

340 :名無し三等兵:03/06/28 12:02 ID:???
>>329
国家総力戦の前提に義務教育の普及があることを知らんのか?

341 :名無し三等兵:03/06/28 16:36 ID:???
>>340
国民の学力がある程度高くないと、なかなか思うような動きが出来ないのは事実でしょう。


342 :名無し三等兵:03/06/28 18:29 ID:???
>>329

ウソかホントかは知らないが。
二次大戦中のソ連が分隊、小隊単位の戦闘で単純な行動しか取れなかったのは。
部下であるアジア人と指揮官であるスラブ人との間にうまくコミュニケーションがとれなかったかららしい。

同じ日本人同士、言葉が通じても文字が読めなければ行動にそれなりの支障が出るものと思われ。


343 :名無し三等兵 :03/06/28 22:18 ID:???
>>339
違う。農繁期では農民は戦えない。

344 :名無し三等兵:03/06/29 12:21 ID:???
>>342
同一の民族ならば文化や価値観が、自ずと似てくる。
その点が、諸外国の軍隊に比べてほぼ単一民族で構成された。
日本軍では連携が上手く行ったのは事実でしょう。

言語に関しては、テレビやラジオが普及する以前は、地方の「なまり」が酷かったからな。。
地方出身者同士で、まったく言語が通じなかったこともしばしばあったでしょう。
それでも異国の言語よりはマシだけど、必ずしも日本人同士言葉が通じたと考えるのはどうかと思いますけど

345 :名無し三等兵:03/06/29 14:23 ID:???
>>342
そのための郷土連隊です。村の評判というシバリも利用できますし。

346 :名無し三等兵:03/06/29 15:00 ID:???
三方原の戦いで、家康が勝つ方法は無かったのか?

347 :名無し三等兵:03/06/30 12:13 ID:???
>>346
武田信玄は野戦の天才だ。
野戦で家康が勝つのは難しい
初めから城に籠もっての攻城戦にもつれ込んだ方が優位だったろう。
攻城戦では、精強な騎馬隊の能力も十分に生かすことが出来ないし
家康に勝つことは無理でも、負けないようにするのは可能だったろう

348 :_:03/06/30 12:16 ID:???
http://homepage.mac.com/hiroyuki44/jaz04.html

349 :名無し三等兵:03/06/30 12:45 ID:???
>>347
家康だって野戦上手であるわけだが…。

まあ、経験の差が大きかった上に、信玄の方が2万超の軍勢。
一方、家康の方は、1万足らず。これに信長からの援兵が3千。

これで死なずに済んだわけだから、それでも家康は大健闘したとも言える。

350 :ベタ藤原 ◆RoMNjfnp0E :03/06/30 22:11 ID:???
 確か、家康は信長に対して信義を見せるために篭城を止め、出撃したんじゃな
かったっけな?
 それを見越して、信玄もワザと城を攻めなかったんじゃなかったけかな〜?

351 :名無し三等兵 :03/06/30 22:20 ID:???
有力な説としては、武田軍を放っておくと、三河一帯の地侍等が武田に臣従してしまうので、
一撃を加えて帰城するはずが、失敗して(信玄の作戦)しまったというのがありますな。

352 :名無し三等兵:03/06/30 23:47 ID:???
>>351
鶴翼に構えて信玄の後陣を叩くはずが、
信玄はそれを十分に予期しており、魚鱗の陣形で待ち構えておりましたな、確か。
魚鱗の陣形で、後陣→先鋒にあたるところに小山田、山県ら老練の将を配して。

ところが、先鋒だけでけりがつくはずが、ほとんど全軍投入という羽目になったはず。
そのあたりが家康の健闘を表していたと。

353 :海の人 ◆STEELmK8LQ :03/07/01 12:43 ID:???
>352
 というか日本史の軍記物で出てくる「鶴翼」だ「魚鱗」だ、っていう陣構えには
フィクション以上の意味ってあるの?


354 :352:03/07/01 13:23 ID:???
>>353
多分………合理的意味は、ほとんどないと思う(w

あ〜ただ、欧州の斜線陣でも言われてる思うが、陣形で接触〜攻撃のタイミングやバランスを調整していたってのは、多少は日本でもあるんだろうなあ、とは思うんだけどね。

鶴翼…両翼から戦端を開き、間をおかず全線で攻撃…
魚燐…中央突破を指向しつつ、適宜に後続部隊の投入を図る…
みたく…。こういうことが軍記もので、正しく認識・描写されてるかつーとはなはだ疑問だが。

355 :海の人 ◆STEELmK8LQ :03/07/01 14:24 ID:???
>354
 あ、なるほど〜、そういう風に実体を読み解いていけばいいのねん
 「どうせ構成の造り事じゃん」とか、さっくり否定していただよ、さんくす:-)

356 :名無し三等兵:03/07/01 23:30 ID:???
あげ

357 :SL:03/07/02 19:23 ID:???
>354
>適宜に後続部隊の投入を図る…
>軍記もので、正しく認識・描写されてるかつーとはなはだ疑問だが。

このへんは「車懸かりの陣」に混同されて描写されたりしてますな。軍記もの。

358 :ベタ藤原 ◆RoMNjfnp0E :03/07/02 22:08 ID:???
 日本の戦国時代にはヨーロッパで言う、鉄砲隊と歩兵が混在した形での陣形『テ
ルシオ陣形』とかに相当するようなモノはあったんだろうか?

359 :SL:03/07/02 23:01 ID:???
混在はしているが、『テルシオ陣形』(隊形か)のように機能を重視した訳ではなく、
兵制の都合によるものですね。

360 :名無し三等兵:03/07/03 12:39 ID:???
>>358
戦国時代の日本の軍備を見れば、西欧型の重装甲に比べれば、機動性を重視したものが中心だな。
西欧に見られるような重装甲の兵士による密集陣形よりも、機動性を生かした戦法が中心だ。
これも西欧と違い。起伏に富み。森林の多い地形が理由だろう。
日本刀一つとっても、西欧の刀は、その重さで叩き付けたり、鎧の隙間から剣を突き立てるものだが
日本刀は斬るためのものだ。
それが可能だったのも、鎧が西欧のものと違い。軽武装だったからだろう。

361 :名無し三等兵:03/07/03 13:59 ID:???
>>360
日本刀は馬上刀として発達したという定説は?

362 :名無し三等兵:03/07/03 14:04 ID:???
それ以外にもあるぞ。
槍の発達でクリアできるし。
逆に>360の論理を適用すれば、槍が発達しないことになってしまう。

洋の東西を問わず、装甲の敷衍は、火力に対する防御だろう

363 :名無し三等兵:03/07/03 17:05 ID:???
>>362
洋の東西を問わず。白兵戦時代の戦争の主役は、刀より槍だ罠

364 :名無し三等兵:03/07/03 19:19 ID:???
戦国時代には、乱戦では、主力は刀よりも槍やった。
基本的に遠距離の相手には、弓を使い
近づくと槍での乱戦が主流のスタイルや

365 :名無し三等兵:03/07/03 19:38 ID:j/kZQ8g3
槍に太刀打ちするには3倍の力が必要とか。
弓にもいろいろあるみたいで。
でも、昔のヨーロッパだか分からないけど、
棍棒をつかってたんでしょ?痛いだろうね。

366 :名無し三等兵:03/07/03 20:37 ID:???
なんで鉄砲があんなに強かったのに戦国時代は槍兵もいたんですか?

銃剣とかなんでつけなかったの?

367 :SL:03/07/03 21:47 ID:???
戦国時代はまだ環つきの銃剣がなかったから。
1680年頃ヨーロッパで環つきの銃剣ができて、
パイク兵に取って代わった。

368 :*******************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************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*************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************補完:03/07/08 05:44 ID:???
368 名前:犬と呼ばれる商売 投稿日:03/07/05 17:17 ID:???
 金銭を得ることを目的に軍役に就く者を傭兵と呼ぶならば、傭兵はいつの時代の戦場にも
多かれ少なかれ存在した普遍的な存在といえる
 しかし、一つの軍制としての傭兵制度はそのような普遍な存在ではなく、ある特定の時期に成立し発展し
消滅している
 代表的な傭兵としては、古代ギリシアのギリシア人傭兵やローマ帝国のゲルマン人傭兵、
中世封建制下の傭兵、絶対主義期の傭兵等をあげることができる
 特に、絶対主義時代における傭兵制度については、19世紀の軍人たちが専ら国民軍の見地から
盛んに批判的に論じており、彼らの見解は現在においても有力な定説と目されている
 そして、その中には傭兵制の歴史的過程をかなり明確に指摘しているものもある
 「戦争は政治の一手段である」と身も蓋もなく言い切ったクラウゼヴィッツは、その著書「戦争論」の中で
次のように述べている
 「封建制度は漸次に衰退し、統一的領土国家が形成され、国家的結合は一層緊密になり、身分上の服従関係は
物質上の関係に変じ、ついで金銭関係が漸次に大多数の関係を支配し、封建的軍隊は給金を給付される軍隊と
なるにいたった
 傭兵制度はかかる変化への過渡を形成するものであって、従って一時は大国の器械ともなった
 しかしそれは長くは続かなかった
 短期の契約で雇用された兵士は常設的な軍隊に変じ、国家の兵力はいまや国庫の負担をもって設けられた
軍隊によって維持されることになったのである」
 そしてクラウゼヴィッツは、アンリ4世の治世には封建軍と傭兵と常備軍の三種類の軍隊が並用され、
その後、傭兵は三十年戦争の頃まで残存し、18世紀においても僅かながらその存在の痕跡を認めることができる、
と述べた

 確かにクラウゼヴィッツが指摘するように、近世初期の傭兵制は一時的偶然的に成立したものではなく、
封建制の解体と続く絶対主義の確立と密接な関係をもって成立した産物であった
 傭兵制はクラウゼヴィッツが主張するように封建軍から常備国民軍への過渡的形態に他ならないとしても、
その過程は彼が言う程に短期のものではなく、またそう単純でもなかった


そんだけ

369 :補完:03/07/08 05:45 ID:???
369 名前:money-fief 投稿日:03/07/05 17:18 ID:???
 正規の、もしくは純粋な意味での封建軍は、封土を媒介して成立した軍事的主従関係を基礎として成立する
 この場合、軍役奉仕すなわち出軍義務には時間的空間的な制約条件が付加されていたが、臣下が軍役免除金を
支払って軍役を免れる慣行もまた存在していた
 ドイツ皇帝フリードリヒ・バルバロッサは、イタリア遠征の際にこの免除金によって現地傭兵を
大量に調達することができた
 このような軍役免除金の慣行は、他面においては金銭を支給されて軍役奉仕を行う者の存在を示唆している
 彼らは、封建軍の中ではいまだ「金を支払われている補助軍」的な存在ではあった
 しかるにこの手の「補助軍」的な存在が封建軍の中で次第に幅を利かせるようになると、封建制の紐帯とも
言うべき封土が金銭化するようになっていく
 もっとも注目すべき点は、これらの金銭が主君からの恩恵としてではなく、正当な労働に対する報酬としての
意味が強いことであった
 これはすなわち封建的主従関係の希薄化を意味する
 こうして封土による主従関係を基として成立していた封建軍は大きく変化を見せる
 軍役提供に際して土地を担保に金銭を授与するようになり、封土よりもむしろ金銭の授与に重点が
置かれるようになる
 こうなると出陣のために金を払うことと封土にかえて金を与えることの差がなくなり、
一人で複数の主君に対して軍事的な主従関係を結ぶことも、また全く封建的主従関係にない人間のために
金銭の獲得を目的に軍事奉仕を提供することも可能になってくる
 このいわば「傭兵化した封建軍」は、14世紀のヨーロッパ諸国で広く見られるようになっていた


そんだけ

370 :補完:03/07/08 05:45 ID:???
370 名前:契約戦士 投稿日:03/07/05 18:15 ID:???
 この「傭兵化した封建軍」においては、封土が金銭に変わってはいたが、いまだ主従の間には
封建的身分関係が明示されており、それに基づいて一定の契約金が付与されていた
 故に「傭兵化した封建軍」の傭兵化がどれだけ進展したとしても、純然たる傭兵軍とは言い難い
 むしろ傭兵軍は封建制の崩壊を伴って出現した
 封建関係の崩壊の過程で伝統的な主従関係を喪失した貴族や騎士を中心に農民や下層民をも加えた
一個の武装集団が封建社会解体の混乱期に形成された
 彼らは言うなれば一種の野武士団、盗賊騎士団であり、各地に散在し、専ら金銭の獲得を目的として
求めに応じて有力諸侯に雇用されて従軍した
 戦争を商売とするこの集団は有利な条件を求めて諸侯、君主とも雇用契約を結び、
平時には一種の失業状態に陥って略奪を行うこともあった
 この手の傭兵集団は、14世紀のドイツではrittergesellschaft、百年戦争期のフランスではcompagnie、
15世紀のイタリアではcompagnie di venturaと呼ばれて悪名を流しまくった
 これらの傭兵軍には一定の特徴が認められている
 その成員の出身階層は雑多であるにしても、下級貴族がその中核をなし、それに郎党、奴隷、農民、職人等が
参加していた
 しかし時には有力貴族の庶子や次男三男も多く参加しており、諸侯が高額な契約金をもって
このような傭兵集団を雇用していたという事実と相まって、封建制の危機の深刻化を物語っている


そんだけ

371 :補完:03/07/08 05:46 ID:???
371 名前:悪党と手を結ぶ 投稿日:03/07/05 18:16 ID:???
 封建危機の進行は、封建制の国家規模での再編成によって、絶対主義体制の確立により一応の克服を見た
 政治的に見れば混乱した封建秩序を再建し、強力な絶対主義を築き上げるために、
第一に軍事力の集中強化が要求された
 傭兵軍は封建的秩序の混乱を体現した忌むべき存在ではあったが、皮肉にも同時に当時唯一の頼みとなる
軍事力でもあった
 王権はこれを整理統合し、自己のみに所属する軍隊を編成することにより、絶対王権形成のための
軍事力の集中を図った
 こうして傭兵軍はいわば常備軍化していく
 フランス王シャルル7世の編成した軍隊は封建的要素が色濃く残るものの、同時にこうした常備軍的性格を
もつものでもあった
 また15世紀のイギリス軍は、全国的統一規模のものではなく、有力諸侯によって編成された軍隊であったが、
やはり常備軍としての要件を備えていた

 勿論、このような常備傭兵軍による軍事力の集中を可能とするためには、その物的基盤を保証する王室
または諸侯の財政の充実が前提となっている
 王領からの収入のみならず、臨時税や間接税、戸別税等の様々な徴税権の独占が同時進行していた
 更にその常備傭兵軍の中核が貴族や騎士と呼ばれる階層で構成されており、根底には封建的性格が
根強く残っていた

 しかし、絶対主義下の軍隊が全てこの常備傭兵軍によって構成されていた訳ではなかった
 常備化された傭兵集団は間もなく壮丁の徴募兵と俸給制度を基礎とした常備軍へと改編され、
純粋な意味での常備傭兵軍は主に外国人傭兵部隊として存続した
 例えばフランスでは、伝統的にスイス人とドイツ人で編成された部隊を維持し続けている
 無論、これらの他にも僅かではあるが純粋な封建軍も存在していた
 しかし、いずれにせよ絶対主義軍隊が傭兵的性格が濃い常備軍であったことは否定できない


そんだけ

372 :補完:03/07/08 05:47 ID:???
372 名前:名無し三等兵 投稿日:03/07/05 18:30 ID:???
そ、そんだけ氏!?
お、お目にかかれて光栄です!わたしはあなたの過去ログを見て軍板住人になりました。
ゆっくりとご講義の内容を読ませていただきます。
スレ汚しにならないよう極力ROMさせて頂きますので、以降出没を控えますがご容赦を。

373 :補完:03/07/08 05:47 ID:???
373 名前:名無し三等兵 投稿日:03/07/05 22:30 ID:???
わぁ、そんだけ氏だあ。もう来ないかとオモテタよ。

374 :補完:03/07/08 05:49 ID:???
374 名前:悪の枢軸に認定 投稿日:03/07/06 17:10 ID:???
 法制史において、法廷外の係争処理のための制度であるフェーデの克服運動として出現したラント・フリーデは、
直接には、当時ドイツで猖獗を極めた盗賊騎士団raubritterの活動を封じ込めることをその主たる目的の
一つとしていた
 1389年に、ライン、バイエルン、シュワーベン、フランケン、ヘッセン、マイセン等の各地方に施行された
エーガーのラント・フリーデでは次のように記されている
 「神の意志に反し悪しき集団が力を得てこのラント・フリーデ地域で再結成されたり、
またはこのラント・フリーデ地域にやってくることがあれば、我々は全力を挙げてそれに対処し、
その全員を追放するであろう」
 この、「悪しき集団」とはすなわち当時ドイツに跳梁していた盗賊騎士団のことである
 このような盗賊騎士団への抑圧は、多かれ少なかれ他のラント・フリーデにおいても重要な関心事であった

 「呪うべき、しかして聖なる法律に違反せる、都市の内と外、都市相互、私人相互、私人と都市の間に結ばれた
種々の不法な団体や、我々が堕落と認めた方法によって設立された同盟や協定は、いかなる口実を持つ
誓約団体であっても、我々はこれを拒否し否認する
(中略)
 我々は、我々の前任者たる神聖なる皇帝たちの聖なる法が、躊躇亡く禁止し解散を命じたがごとき団体を
現在までに結成し、将来においても結成せんとする動きがあることを知るが故に、ここにこのことを宣言する
 ただし、諸侯や都市やその他のものが、州や国土の一般的な平和のために相互に組織する同盟や協定は
少なくともこの禁止令からは除外される」
との1356年の金印勅令の規定は、当然のことながら大空位時代(1253〜1273年)以後、
あらゆる禁令を無視して事実上の政治勢力となっていた都市同盟に適用されない
 ここで主に取締の対象となっているのは、多くのラント・フリーデで結成を禁止された盗賊騎士団に
他ならなかった


そんだけ

375 :補完:03/07/08 05:50 ID:???
375 名前:仁義なき人々 投稿日:03/07/06 17:11 ID:???
 実際のところ、盗賊騎士団raubritterなる名称自体が、史料の上で明確な用例を持つ用語ではなく、
後世になって諷刺語として普及した用語だった
 これは、フェーデを完全に犯罪視する近代的概念によるところが大きい
 むろん、フェーデ権の濫用による逸脱行為により盗賊騎士と呼ばれるに相応しい騎士が存在していたことは
事実だが、だからといって盗賊騎士団が単なる武装難民の群れだったとは言い難い

 ゼルバッハのハインリヒ・ズルトの年代記によると、1356年、アプリア、トスカナ、イタリアその他で
略奪や暴行、放火を働いていたソキエタスと呼ばれる武装集団が、アウグスブルクの司教アルクゥルトに率いられ、
ミラノ領主に対して攻撃を仕掛けたが、彼は500名の兵士とともに捕虜になった
 1357年、プロヴァンス地方のマルセイユ及びエークト市近郊でカールなる人物がソキエタスを結成し、
城を襲撃し人命を殺傷し財産を略奪したりしたが、教皇領を荒らすことはなかったため、
教皇はカールに対しプロヴァンス地方からの退去を条件に2万4千フローリンを与えている
 1361年及び1362年には、ブレティニーの休戦によって解雇されたイングランド傭兵が中心となって
アヴィヨンでソキエタスが結成された
 彼らは聖堂及びローヌ河の橋梁を占拠して教皇領への糧道を遮断し、その周辺地域で略奪を働いている
 教皇は皇帝と諸侯に対し援助を請い、結局3ヶ月余り暴れ回ったソキエタスは結局金銭によって和解し、
ミラノに向けて立ち去った
 このソキエタスはその後一部が再び舞い戻ってアヴィヨン市に侵入したが、一部が捕らえられ、
10名がローヌ河で溺死刑、11名が絞首刑にされている


そんだけ

376 :補完:03/07/08 05:55 ID:???
376 名前:大強盗団が往く 投稿日:03/07/06 17:16 ID:???
 ニュルンベルクのマティア年代記では、1354年にミラノ大司教がソキエタスの隊長ヴェルネルスに金を与え、
ソキエタスは帰国してシュワーベンで解散したと記されている
 彼は「神の敵、信心の敵、同情の敵」と刻まれた胸当をつけ、1500から2000の騎士団を率いて
イタリア半島を荒らし回った
 その後1万人の兵士からなる別のコムパニアが結成され、プロヴァンスのメモリアレスなる者を隊長として
ロンバルディア地方に進出した
 このコムパニアはプロヴァンスに戻ってシュワーベンのランドウという男を隊長としてミラノ市の近傍に
野営地を構え、同市を攻撃しないかわりに食糧の提供を受けたり、領主や都市に食糧の提供を強制した
 このコムパニアは永年にわたってヴェニスに雇われて皇帝の側に立って戦い、その後ラヴェンナに向けて
移動している
 1365年には、主任司祭と呼ばれるイングランド人に率いられた1万2千の騎士を含む無数の兵からなる
ソキエタスがアルザス地方に侵入したと記されている
 彼らは夜を徹して多くの家屋を焼き払いつつ前進し、夜明けとともに攻撃準備を整えてシュトラスブルク市の
城壁の前に到着、都市と周辺の住民は防備の整えられた城壁内に逃げ込んだ
 同じ頃、アヴィヨンから来たカールという人物がこのソキエタスを撃退するためにゼルツ市で軍勢を募った
 このことを知った主任司祭は麾下の軍勢を率いてアルザス地方を退去したが、この際に彼は
「我々は皇帝の命でやってきたのに、その我々を追放するために軍勢を集めるとはけしからぬことだ」と、
皇帝を非難したと言われている

377 :補完:03/07/08 05:55 ID:???
 また、1375年にもイングランド人のソキエタスによるアルザス侵入があったと記されている
 リムブルク年代記では、1365年に大ゲゼルシャフトがアルザス地方の各地を1ヶ月にわたって略奪した
 このゲゼルシャフトは婦女子を除いても2万人の大所帯だったと記されている
 また、1380年には、リムブルク市の近くで大きな戦闘があり、ニーダーラントやオーベルラントの
優秀な騎士、あるいは日出ずる東洋の国の人々(!)など、300グレーフェン(グレーフェンは重騎兵1名と
軽騎兵2〜3名からなる騎兵の編成単位)からなる軍勢がリムブルク市の前市で放火と略奪を行ったと
記されている


そんだけ

378 :補完:03/07/08 05:56 ID:???
377 名前:犯罪が起こるのは社会のせいです 投稿日:03/07/06 17:20 ID:???
 これらのエピソードは、年代記という史料の性質上、時期や人数、地名やその他細部について個別の検討を
要する問題が多い
 ここに出てくるソキエタスやコムパニア、ゲゼルシャフトと呼ばれる集団を構成した兵士が
各地で略奪や破壊を展開していることは、彼らが字義通りの意味での盗賊騎士と呼ばれるべき存在であり、
彼らが野盗の群れに他ならないことを示していると考えられる
 特に1361年にアヴィヨンに出没したソキエタスや1365年にアルザスを襲撃したソキエタスは、
1360年のブレティニーでの英仏休戦の結果、解雇され見知らぬ大陸で生計の途を失ったイングランド人傭兵の
なれの果てであったことを考慮すれば、彼らが野盗化して各地を放浪するのはある意味当然のことであった
 1338年、ニーダーラインのエッセン女子修道院長が、
「エッセン修道院領内の住民は、悪しき人々の攻撃のために非常に苦しめられ、彼らの生命財産は、
日夜冷酷残忍な手によって脅かされている
 領民がかかる不当な暴力や悪意ある侵入に対して自発的に抵抗し、乱暴者の乱暴を防ぐためには(以下略」
と語っているのも、このような盗賊騎士団を対象にしたものだった

 しかし、このように年代記作家の目には好ましからざる存在として映ったソキエタスやコムパニア、
ゲゼルシャフトの、アウグスブルク司教と同盟したり、教皇やミラノ大司教から金銭を貰って
アヴィヨンやミラノから退去したり、皇帝の命を装ってアルザスに侵入してみたり、
または野営地を構えて食糧を要求した等の行為は、彼らの行動が必ずしも強盗団のそれと同一ではなく、
金になる仕事を求めて各地を放浪するうちに、適当な機会に恵まれず野盗化したという事実を示唆しているに
過ぎない
 1385年、教皇ウルバヌス6世はオーストリアのヘンゼルなる男が率いるドイツ人ゲゼルシャフトを雇って
ルツェルンで作戦させており、1394年、神聖ローマ皇帝ヴェンツェルは盗賊騎士団を傭兵として雇い入れ、
1396年に解散させた後はその成員を自らの臣下として丸抱えで抱き込んでいる
 結局、この手の盗賊騎士団の本来の目的は傭兵として活動することであった


そんだけ

379 :補完:03/07/08 05:57 ID:???
378 名前:お呼びとあらば即参上 投稿日:03/07/06 19:49 ID:???
 盗賊騎士団が一個の独立した部隊として軍務に就いていたことを示す史料も少なくない
 1328年、イゼンブルクのヨハネス以下25名の人物が皇帝ルードヴィッヒ4世と傭兵契約を交わした
 この契約書は、「我々は、我々自身と我々の仲間全員のために皇帝と次の如き協定を結んだことを
宣言するものである」で始まり、「良好にして合法的に奉仕」することを約した彼らに対する具体的な賃金と
その支払方法が約された後、「皇帝は、我々がヴィナリとケルグリの両要塞を保有してそこに駐留し、
もし上記の朕軍の支払が定められた期限までになされない場合には、我々傭兵が敵と通じて勝手にこの要塞を
処分することを許した」とした上で、「しかし、支払が満足に行われて所定の期間が経過した場合には、
我々はこの二つの要塞を皇帝に返還することを約するものである」と記されている
 1303年、ボヘミア・ポーランド王ヴェンツェスラウスとフランス王フィリップ4世が神聖ローマ皇帝
アルプレヒト1世に対抗すべく結んだ軍事協定では、両者が来る使徒ヤコヴの祭日までに10万プラーグ銀の
軍資金を費やしてドイツで傭兵を掻き集めることをお互いに約している
 外国の君主が短時間のうちに大量の現地傭兵を集め得るということは、すなわち盗賊騎士団が有力な
兵力供給源としての機能を果たしていたからに他ならない
 1327年、皇帝ルードヴィッヒ4世がその勅令で、「もし何らかの重大な理由により貴下自身が出陣し、
または貴下の軍隊を派遣することが不可能な場合、貴下の希望によっては、傭兵を集めるための資金の
提供によって、貴下の出陣義務を免除することを余は承認するものである」と言っているのも、
容易に傭兵として雇用し得る盗賊騎士団の広汎な存在を前提としたとすることに疑問の余地はない
 教皇庁をはじめとするイタリアの各都市がしばしばドイツ人傭兵を多用していたという事実も
同様に解釈することが出来る

380 :補完:03/07/08 05:58 ID:???
 特に、教皇のアヴィニヨン捕囚、皇帝権の失墜等に象徴される14世紀のイタリアでは、諸都市の分裂抗争が
続き、盗賊騎士団の活動に絶好の場を提供していたと考えられる
 フィレンツェで権勢を得たイングランドの傭兵隊長ジョン・ホークウッドの成功の陰には、
このようなイタリアの社会状態が背景となっていた


そんだけ

381 :名無し三等兵:03/07/08 21:56 ID:???
>>368-380
お手数をおかけしました

382 :新義ヲ企テ徒党ヲ結ビ誓約ヲ成スノ儀、制禁ノ事:03/07/08 21:59 ID:???
 盗賊騎士団はその社会的立場と成立の経緯から、当時の封建社会と異なる一種独特の組織的体質を有していた
 前述の1328年に盗賊騎士団が皇帝と交わした傭兵契約によれば、イゼンブルクのヨハネス以下25名に
のぼる多数の人物が皇帝と契約を結んでいること、しかも彼らが、「我々自身と我々の仲間全員のために」と
言明していることから、盗賊騎士団が封建的階層秩序を止揚した、いわば成員の平等を原則とする
同志的結合とも呼ぶべきものの上に成立していることが推察できる
 さらに、フリードリヒ1世バルバロッサが1158年に発した勅令では、「都市の内と外、都市と都市、
私人と私人、あるいは都市と私人の間に結成される集団、あらゆる誓約団体は、血縁的結合をも含め、
いかなる形のものであれ、余はその結成を禁止し、既に成立したものに対してはこれを解散せしむるものである」
と述べ、かかる同志的結合集団が既にこの時期に発生していたことを示唆している
 同様のことが1224年のフリードリヒ2世の治世の際にも発生している
 この時は、フリードリヒ2世の忠実な封臣であるリバルドゥスの従士たちがハウスブルク渓谷に拠り、
誓約によって成立する団体や同盟のごときものを勝手に結成しようとしたため、そのような団体の結成が
許されるか否かの裁決をリバルドゥスから求められている
 これに対し、フリードリヒ2世は自らの許可無しにいかなる団体の結成をも禁ずる決定を下している
 このような従士たちが領主を除外した誓約によって、恐らくは各自平等の立場から結成した団体を、
そのまま盗賊騎士団と同一視することは危険であるが、彼らが容易に放浪して盗賊騎士団へと変容していくことは
十分に推測できる


そんだけ

383 :義理と人情秤にかけりゃ銭が重たい男の世界:03/07/08 22:01 ID:???
 しかしながら、盗賊騎士団の同志的結合と呼ぶべき性格は、いわゆる高度に理念化されたものではなかった
 前述の年代記の記述でも見られるように、彼らは幾度も離合集散を繰り返し、しかもそれは何らかの
金銭的な利害と常に絡み合っていた
 このことは、彼らの同志的結合がより刹那的でかつ極めて稀薄な性質を持ちやすいことを示している
 つまり、盗賊騎士団内の封建的階層秩序を否定するという性質が、成員の金銭的利害の一致という一時的な
動機によって導かれているということ、そしてこの金銭的利害こそが彼らの組織の本質を決定していたことを
意味している
 盗賊騎士団が戦闘員の他にも家族をはじめ多くの非戦闘員を含んでいたのも、また騎士身分のみならず
雑多な階層で構成されていたことも、このような組織的性格を前提としていたからである
 盗賊騎士団の利害追求型同志的結合は、妻子や売春婦のような非戦闘員のみならず、金銭的利害を
媒介することによって一般の都市民や農民、下層民をも積極的な戦力要素として内に取り込むことになる
 かのジョン・ホークウッドもその出自は鞣革業者の息子だったと言われている
 いずれにせよ、盗賊騎士団は従来の封建軍隊の中核をなしていた封臣軍とは全く別の種類の軍勢だった


そんだけ

384 :戦争の犬のプロ:03/07/08 22:02 ID:???
 ケルン年代記によると、1228年に、ブラバント公ヨハネスとゲルレンス伯レイノルの不和が募り、
ついに両者が戦争準備をはじめたことについて次のように記されている
 この際、「ブラバント公ヨハネスはケルン市民及びその他の多くの貴族や従者に報酬を与えて味方に引き入れた」
 これに対してゲルレンス伯レイノルも多くの者を味方にしたが、彼らは各地で行われた種々の戦争に
熟練している連中であった」
 「種々の戦争」というものが、大軍同士による野戦というよりむしろ、小規模な攻城戦や小部隊による襲撃、
伏撃、略奪といった小競り合いであり、そしてその手の小競り合いに「熟練している連中」が容易に盗賊騎士団に
身を投じる存在であることは言うまでもない
 しかし一方で、この係争にケルン市民もまた報酬を得て参加していることを考えると、この戦争熟練者の中に
民兵としての経験にものをいわせて盗賊騎士団にその身を託することによって、ようやく生計の途を見出した
都市の下層民が含まれていたことが推定できる
 15世紀以前の都市における階層分化が具体的にどのようなものであったかは明らかではないが、
時代が下るにつれて都市民間の貧富の差が顕著となって貧困化無産化が進行したことは間違いない
 特に、アウグスブルク、ゲールリッツ等の商業と輸出工業が発達した都市ではこの度合いが極めて深刻で、
社会構造全体において安定性に欠けていた
 少なくともケルンのような大都市ではこのような傾向が早い時期から存在し、その内部に相当数の無産下層民を
抱え込んでいたと考えられる
 特に、1329年のブレスラウ、1351年のシュパイエル、1392年のハルシュタット及びラウフェンで、
それぞれ職工が賃金問題を巡ってストライキやサボタージュ、一揆等を起こしていることは、ギルドの閉鎖性が
強化された結果、生計の目途が立たずにランツクネヒトに身を投じた15世紀末の遍歴職人のように、
既に14世紀において盗賊騎士団に身を投じて熟練兵となる以外に生きていく方策のない下層民が、
都市の内部に相当数潜在していたことが推測できる


そんだけ

385 :手に持つ鋤を槍に替え:03/07/08 22:03 ID:???
 農民であっても事情は変わらなかった
 1244年、バイエルンのラント・フリーデは、次のような布告を行って農民の武装に制限を加え、
騎士と農民の間に明確な一線を画そうとした
 「農民及び彼らの息子は、教会に行く場合に限って、鉄兜、鉄帽、革鎧、両刃の短剣、鎖鎧その他の軍装を
着用することを許可する
 農耕に出る場合には、短いナイフと鋤だけしか携行してはならない
 帯剣できるのは家長のみで、その他の者には許されない
 ただし、犯罪人を捕まえたり、外敵の侵入を防いだり、国の危難に備えるために必要なものは、欲すれば
いかなるものであれ家の中に貯蔵してもよい」
 しかし、このような12世紀の身分法思想の名残はすでにこの時代においてはほとんど消滅していた
 前述のエッセン女子修道院長が1328年に発した布告では、「悪しき人々の攻撃」によって
苦難に陥った修道院領の農民を守るため、「領民にして、馬、甲冑その他の武器を所有する者があれば、
その馬や武器は所有者の死後もエッセンの防備のために子孫または相続人の手に保有されるべきである
 余も余の役人も、かかる馬や武器を、遺産相続やその他の理由によって没収してはならない
また、何人も、これらの馬や武器を、負債の故をもって差し押さえてはならない」と規定されていた
 盗賊騎士団が横行した14世紀では、むしろ農民の武装化は強化される傾向にあり、
これは逆に、農村の下層民もまた、容易に盗賊騎士団に身命を売り渡せたことをも意味していた
 特に農民戦争時代のドイツ南部では、農地の細分化と農民の小作農化貧農化が進行したが、14世紀においても
このような傾向は認められている
 正業をもってしては生活し得ない貧困小作農にとって、盗賊騎士団が極めて魅力的な職場となるのは当然だった


そんだけ

386 :赤貧の騎士:03/07/08 22:05 ID:???
 これらの都市民や農民の下層分子を組織し取り込んだ盗賊騎士たちも、何も好き好んで放浪していた訳では
なかった
 この時期に出現したテリトリウム(領封制)国家の形成は、それ以前に存在していた個々の権利の集積ではなく、
かつてのインムニテート(不輸不出権)圏の散在性を否定し、隣接地に対してはインムニテート圏の不当な拡大、
新しい特許状の獲得、売買、交換に対し、広汎な封鎖地域を形成し、そこに新しい権力原理による統一主権を
確立しようとするものであった
 大グルントヘル(荘園領主)がテリトリウム領主へと変貌していく反面、他者はそれに服属していく
 テリトリウム国家を作ることができなかった大土地所有者はテリトリウム領主の主権にとっては障害物であり、
滅亡する運命にあった
 この場合、地代収入の減少や公権利の消失は彼らの没落を早めた
 このような競合関係が生じた際に、こうした抗争に巻き込まれた小土地所有者である騎士階級は
新しいテリトリウム領主に従属するか、または盗賊騎士団を結成して各地を放浪するかしかなく、
いずれにせよ没落の道を避けられなかった
 騎士身分でテリトリウム領主となった事例は僅かしかなく、14世紀には、同一家系の出身でありながら
ある者は騎士として生活しているのに対し、他の親戚は農村や都市で労働に従事しているような例さえ少なくない
 無論、全ての盗賊騎士が土地を失ってしまった訳ではなく、盗賊騎士団の中には一定の根拠地を持ち、
そこを基点に各地で活動した集団も少なくなかった
 しかし、いずれにせよテリトリウム成立に伴う経済変動によって、騎士たちが彼らの土地からの収入のみを
頼りにして満足な生計を立てられなくなっていたことは明らかであり、そこに彼らの没落の原因があった
 更に、種々の事情で土地を手放さなければならなかった場合、彼らの没落はより凄まじかったに違いない


そんだけ

387 :名無し三等兵:03/07/09 11:48 ID:???
すごいなあ。そんだけ氏。ありがたく購読しております。

兵を募るということの、社会的ダイナミズムはすごいでつね。
兵隊志願の男ばかりでなく、旦那を追ってくる嫁、家族、荷物やらなんやらが、人口まるごと大移動してきたんだ…
そういうものに略奪されたら、そりゃ村なんかいちころでつね。

388 :明日の飯より今日の飯:03/07/09 21:38 ID:???
 前述したように、テリトリウム国家の出現により、下級貴族である騎士は大別して二つの選択を迫られた
 テリトリウムに隷属した騎士は、後に等族議会を通じてテリトリウムの絶対主義化に抵抗する機能を
果たすことになる
 もう一つは、いずれのテリトリウムにも属さず、結果として帝国議会に出席権を持たない帝国騎士たちで、
彼らのうちの少なからぬ数が盗賊騎士へと転身することになる
 ドイツにおいて、盗賊騎士団がシュワーベン、フランケン、アルザス、ラインの各地方で多数発生したのは
偶然ではなかった
 これらの地方は、いずれも強力なテリトリウムが成立していなかった
 多くの群小テリトリウムが発生したこれらの地方ではそのどれもが弱体なため、騎士がテリトリウムに
吸収される可能性も低く、それだけに帝国直属の身分を維持しつつも、それに相応する経済力を持ち得ない彼らは
盗賊騎士団として活動していく
 前述したように、ラント・フリーデ運動がこうした盗賊騎士団の絶滅を意図したものであるのも当然だった
 ラント・フリーデ運動によって支配権の確立を目指したテリトリウムにとって、主として都市を喰い物にする
盗賊騎士団の活動は、テリトリウム領主の経済的基盤を実力を持って脅かすものと考えられたからだった

 ただし、テリトリウム成立の過程における必然的結果として盗賊騎士団が発生したと単純に結論づける程には
話は単純ではなかった
 テリトリウム成立期に盗賊騎士団を傭兵として使ったのは、実はテリトリウム領主自身だった
 1283年、ルドルフ1世はその勅書の中で、土地の永久平和を守るために傭兵軍を編成する権利を認めている
 また、1356年に金印勅書の結社禁止規定では、諸侯や都市が国土の治安と防衛を目的とした
相互協定や同盟の結成が承認されている
 実のところ、盗賊騎士団の活動こそがテリトリウムの発展を強化し、それが更に盗賊騎士団自身の消滅をも
早めることになった


そんだけ

389 :王様は二言目には金と言い:03/07/10 21:32 ID:???
 フリードリヒ1世バルバロッサは、軍役免除税に関して三つの勅令を発している
 1158年に発せられたものでは、「余は、ドイツ及びイタリアにおいて皇帝戴冠式のために公示された出征に、
自ら出陣するか、または封土に応じて軍費を支払うことによって、おのれの主君を助けざる者はその封土を失い、
主君はそれを没収して自らの用に供する権利を持つことを、ここに厳に布告するものである」と記されている
 また同年、「公示された出征において、主君によって召集された者は誰でも定められた期間を自ら従軍するか、
適当な代理人を主君に提供するか、あるいは封土の年収の半分を主君に納めることをなさない場合は、
主君は彼の者の封土を没収して自らの用に供する権利を持つことを、余は厳に布告するものである」
 さらに1160年の「ローマ進軍についての規定」では、「この法によって出征を命ぜられた者で、主君に
従って軍勢を引き連れて集合しない場合は、余の面前で権利回復の望み無しにその封土を奪われるべきである
(中略)しかし、留まらんと欲して主君の許可を得た者は、その年の封土の現金その他の収入を、軍費として
支払わなければならない」
 軍役免除税を意味する「軍費」の徴集こそ、「他の傭兵を集め得るための金銭の提供」であり、
盗賊騎士団を雇い入れるための有力な財源となった
 このような重大な意義を持つ軍役免除税を納める相手が、皇帝に対してではなく自己の主君に対してであった
こと、そしてこれを怠った場合に没収された封土の所有権が、皇帝ではなく当該主君に帰属することは、
既にオットー2世の勅令でも示されており、軍事統帥権の二重構造を示唆するフリードリヒ1世の勅令は、
当時既に慣行となっていたものの確認に過ぎない
 もともと現実の出陣の代償としての意味を持つ軍役免除税は、中世初期以来、名目的に存在していた自由民の
一般的な従軍義務を理由として広く徴収されて傭兵を雇うための有力な財源となっていた
 やがてこれらの主君がテリトリウム領主へと移行していき、その過程で実際の出陣よりもむしろ軍役免除税の
納付を奨励することによって、自らの勢力拡大のために盗賊騎士団を傭兵として利用していくことになる


そんだけ

390 :最初の一匹はどこに:03/07/10 21:33 ID:???
 もっとも、テリトリウム国家成立の時期はフリードリヒ1世バルバロッサの時代よりも後のことであり、
シュタウフェン家滅亡とそれに続く大空位時代こそがテリトリウムの発展に絶好の地盤を提供することになる
 しかし、当時既に新しいテリトリウム成立の萌芽はすでに芽生えていた
 1180年のハインリヒ獅子公失脚の際に出されたフリードリヒ1世の宣告文では次のように記されている
 「かつてバイエルン及びウェストファーレン公であったハインリヒは、教会と帝国貴族の自由を、
彼らの財産を奪い、彼らの権利を侵すことによって著しく圧迫した
 このため、諸侯及び貴族の激しい訴えによって召喚されたが、余の面前に出頭することを怠り、
その後も教会と諸侯並びに貴族の権利と自由を侵害することを止めず、(中略)
 バイエルン、ウェストファーレン、エンゲルン公領並びに彼が帝国より受封した全ての領地は、
ヴェルツブルクにおいて開催された厳粛なる法廷において、諸侯の一致した判決によって没収されることになった」
 この事件の告訴が諸侯と貴族からなされているのに対し、判決に関与したのは諸侯のみであり、
ここでは諸侯と一般の貴族が明確に区別されて用いられている
 この宣告文が発せられた時には既に、単なる「主君」の間に分裂が起こり、そのうち一部が諸侯と呼ばれる
存在へと変化しつつあったことを示唆している


そんだけ

391 :都合のいい人々:03/07/10 21:37 ID:???
 封土を介して発生した封臣の軍役義務は、必ずしも無制限なものではなかった
 軍事統帥権の強弱にもよるが、「東部地方へ」、「州の中で」、「二日行程は自弁で」、「河岸まで」、
「一日行程の行軍」等、地域的時間的な制限が予め決められているのが常であった
 もっとも、この手の制約は封建軍に限ったものではなく、国民徴集軍でも同様だった
 そして、このような制約の多いシステムの克服こそが、テリトリウム実現を目指す王権にとって
克服すべき重要な課題の一つであった
 貨幣収入の増加によって自らの強化を図ったテリトリウム王権が、一方で軍役免除税の徴収によって
封建軍の現実の出陣を無用とし、他方で貨幣の力によって思うがままに運用し得る軍隊、すなわち傭兵軍を
自らの権力の基盤に据えようとしたのもある意味で自然の成り行きだった
 ここに、盗賊騎士団が脚光を浴びることになる
 1360年、ブレティニーの休戦によって敵地で解雇されたイングランド傭兵のように、何時でも何処でも
放棄して他と代替できるこの軍隊は、権力強化を目指すテリトリウム王権にとって極めて有力な手段を提供した
 1314年、ゲルレンス伯レイノルトとオーストリア公フリートリヒが交わした協定では、ゲルレンス伯が
オーストリア公の要請に応じて、契約金を受け取って自らの指揮下にあったソキエタスを提供している
 このような盗賊騎士団の雇用は、テリトリウム権力にとって必要不可欠なものだった

 没落騎士を中核として都市民や農民の下層分子をも内に取り込んだ盗賊騎士団は、テリトリウム実現を目指す
諸権力の競合の産物であると同時に、自らを傭兵としてテリトリウム権力に身売りすることをその本質としていた
 彼らが出没したのが、シュワーベン、フランケン、ライン、アルザス等の各地方であったのも、
群小のテリトリウム国家が発生したこれらの地方が、単にテリトリウムの吸収を免れた盗賊騎士を多く輩出した
だけでなく、彼らが傭兵として雇用される機会が極めて多かったことをも示している


そんだけ

392 :全てを解決する素敵な道具:03/07/11 21:44 ID:???
 テリトリウム成立を巡る競合関係の煽りを受けて没落を余儀なくされた騎士が非騎士階層まで抱き込んで
組織した盗賊騎士団が、テリトリウム権力に有力な軍事的基盤を提供していたことを考慮すれば、
テリトリウム国家にとって盗賊騎士団は必ずしも全面的な抹殺の対象にはなり得ない
 「土地の永久平和を守るために傭兵軍を編成」したり、金印勅書の結社禁止令で「州や国土の一般的な平和の
ために相互に組織する同盟や協定」が除外されているのがいい例である
 しかし、一方でテリトリウム国家が支配権確立の有力な手段としたラント・フリーデが、その主要な目的として
盗賊騎士団の根絶を掲げていることも否定できない
 この盗賊騎士団の二つの矛盾する性格は、いつ解雇されてもおかしくない彼らの不安定な立場にあることに
起因している
 この点で、ラント・フリーデが実は一種の空文規定だったのか、それとも盗賊騎士団が必要悪的存在だったのか
についてはこの際どうでもいい
 最も注目すべきは、貨幣収入が増大したテリトリウム国家にとって、金銭で動員可能であることによって
非常に指揮掌握が容易な盗賊騎士団は極めて使い勝手の良い軍事力であったことにある
 盗賊騎士団自体は必ずしも当時のドイツの軍制を代表する存在ではなかったし、ドイツに存在した軍事力の
主力をなすものでもなかった
 現実の軍役奉仕のかわりに提供される軍役免除税が傭兵動員の有力な財源になるという慣行は、
すなわち正規の封建軍もまた傭兵として出陣できることを意味していた
 強力な財源を有するテリトリウム国家は、封建契約外の従軍に対して金銭の支給を行うことによって
封建軍の地域的時間的制約を克服しただけでなく、実質的に金銭契約下の傭兵軍と酷似した封建軍を
無制限にそして大量に戦争に投入することになる


そんだけ

393 :お手当をください:03/07/11 21:51 ID:???
 14世紀以降、伝統的な封建軍の傭兵化が進行していく
 封建軍動員文書で金銭報酬の支給に関して記されたものは13世紀以前にも存在しているが、
それでも金銭支給に関する規定の全く見られない文書も相当数存在していた
 しかし、14世紀に入ると、動員文書の殆ど全てで金銭報酬の支給が言及されるようになる
 そこには、支給される手当は主君の側からの一方的な恩恵ではなく、正当な労働に対する報酬だとする
認識が強く働いている
 1311年6月、皇帝ハインリヒ7世は、「オーストリア・シュタイエル公レオポルドは来る聖ニコライ殉教日
(12月6日)まで、イタリア地方において100名の騎兵と100名の弓兵をもって、余に奉仕することを
約したので、余は当該期間における奉仕の代償として、6000マルクを与えることを公に約した
 しかして、余はその支払を、まず10日以内に1500マルク、ついで7月に1000マルク、8月に
1000マルク、9月に1000マルク、10月に1000マルク、11月に500マルクを支払って、
聖ニコライ殉教日までに6000マルクを完済せんとするものである」と述べている
 当時の傭兵の1ヶ月分の報酬の基準は、騎兵で4マルク、装備練度の優良な歩兵で3マルク程度であり、
このことを考慮すれば、各月ごとの支払が月々の報酬を意味していると考えてまず間違いない
 オーストリア公レオポルド麾下の封建軍は、紛れもなく賃金の対価として軍役に就いているのである


そんだけ

394 :金の下に旗は集う:03/07/11 21:52 ID:???
 1310年、ホーエンベルク伯ルドルフは、「公正なる我が主君ローマ皇帝ハインリヒ7世は、
余に500マルクを与えたので、余は主君を助けることを約束するものである」と語って出陣しており、
金銭給与を軍役の前提条件とする慣行が一般的だったのはまず間違いない
 1314年、バイエルン公ルードヴィッヒは、皇帝即位のための兵力提供を各地の封建領主に要請した際に、
「戴冠について支障が起こった場合でも、クリスマスに半分、復活祭に残り半分というように、前述の金額は
支払われるであろう」と、計画が失敗しても約束した金額を支払うことを明言している
 ここで、いかなる政治的陰謀とも関係せずに専ら傭兵として従軍する封建軍の存在が、軍事作戦立案において
必要不可欠な前提条件となっていたことはまず間違いない
 また、1310年にハインリヒ7世がフォーシニーのユゴーに宛てた文書で、「もし前述の数以上の軍勢が
集められるようなことがあっても、余は汝が満足できる待遇をなすことを約束するものである」と記しているのは、
場合によっては契約外の兵員の提供をも辞さない程に、封建軍の傭兵としての従軍が非常に有利だったことを
示している


そんだけ

395 :戦争の算段:03/07/12 22:56 ID:???
 封建軍に対する報酬が、上からの恩恵ではなく軍役奉仕のための条件となっていた以上、報酬の支払いに対して
確実な保証が要求されたのは当然だった
 1310年、ハインリヒ7世は「余の忠実なるヴァイセンブルクの貴族ヨハネス及びペトルスの兄弟は、
彼らが常に聖なるローマ帝国に対してなしてきた真の忠誠と誠実を余に約して慣習的に調達された武器と馬を
もって8名の騎兵と2名の弩兵とともに忠実に奉仕することとなったので、余はこの兄弟に対し、
軍費を自ら調達する必要がないように184マルクを与えることを約束するものである
 しかしながら、余はこの金額を直ちに調達することはできないので、余及び帝国の所有しているハスレ渓谷を
土地住民を含め担保として提供し、秋に60マルクを、残りを謝肉祭までに必ず支払うこととする
 それができなかった場合、前述の渓谷は彼らの保有に任せることを認めるものである」と述べている
このように支払完了まで土地の占有を許した例はかなり多い
 またハインリヒ7世が1313年にサボイ伯アメデゥスに手交した文書では、「余がアルプスを越えてより
次の1月に至るまで、伯が余に提供した奉仕に対し、伯が余より既に受け取ったものを除いて、
余は今なお8000フローリンの借財を伯に負うものである」と記されており、借用証書の意味も持っていたと
思われる
 更に、「ギレルムス伯またはその後継者に前述の金額が支払われるまで、全ての兵士と楯持ちは
ケルン市に侵入し、そこに留まって撤退しないであろう」という宣言も見られ、場合によっては実力行使さえ
躊躇われなかった


そんだけ

396 :忠誠のお値段:03/07/12 22:58 ID:???
 このように、封建軍が賃金の報酬を前提に従軍するようになり、しかも報酬の履行のために様々な効果的な
方策がとられていたことは、封建軍の性格に大きな変革をもたらさない訳にはいかなかった
 1301年に提出された文書では、「我々は尊敬すべきトリエル大司教ディルテルスに忠誠を捧げ、
10名の軍勢とともに、皇帝となった前オーストリア公アルベルトに対し、大司教を援助することを約した
それに対して、大司教は我々の一人ヨハネスに対して年内に90マルクを支払うことを約した
それが履行されるまで、我々は相応の土地を占有するものである」
 また1314年、皇帝ルードヴィッヒは、「余の忠実なる貴族ヨハネスは、余の帝国の繁栄のために示した
献身的にして誠実なる真情と、彼が余ならにに帝国の騎士であることを鑑み、余は彼が慣習に従って
葡萄酒その他の商品に課税して300マルクを得ることを認めるものである」と文書に記している
 忠誠を捧げた者に対して封土の授受よりもむしろ金銭の給与が考えられるようになっており、
封建的主従関係においてももはや封土が第一義的な価値を持つものではなくなりつつあった
 しかも、ここで述べられている金銭授与は傭兵に支払われる金銭給与とは事情が異なっている
 こうなると、封土の変形としての金銭の授与と、軍事作戦の都度支払われる報酬との間に明確な一
線を引くことは困難であり、同時に数十人の諸侯と忠誠関係を結んだナッソー伯ゲルラッハは極端としても、
封建軍が金銭さえ貰えればどこにでも出陣する傭兵軍と類似してくることは避けられなくなっていた


そんだけ

397 :ご褒美を下さい:03/07/12 23:01 ID:???
 傭兵化した封建軍と盗賊騎士団には、両者ともに傭兵契約下で従軍していただけでなく、
前者は後者に容易に移行する傾向にあり、その性格に極めて似通った部分が少なくない
 しかしながら、両者の間には契約締結上の明白な差異が存在していた
 1328年、ヨハネス以下24名の盗賊騎士が皇帝と交わした傭兵契約書で、「我々自身と我々の仲間全員の
ために」と記しているように、契約当事者は単なる代理人として軍役奉仕を約束するだけで、何ら特別の報酬を
要求する者ではなかったのに対し、傭兵化した封建軍は、皇帝ハインリヒ7世がフォーシニーのユゴーに宛てた
文書で、「余は準備金として130マルクを支払い、彼が軍勢を引き連れて余のもとに到着してより1ヶ月以内に
更に2400ポンドの銀を与えることを約束するものである」と述べているのをはじめ、多くの場合、
一種の契約金が問題となっている
 このような両者の契約上の差異は、一種の同志的結合を本質としていた盗賊騎士団に対し、
封建軍が大幅に傭兵化してもなお階層的身分秩序を維持していたことに起因している
 そして、契約金不要な盗賊騎士団がテリトリウム権力を補強する新しい軍制の萌芽となる可能性があったことは
一面においては否定できない
 皇帝ヴェンツェルがシュワーベン地方のシュレグラー・ブントなる盗賊騎士団を1394年に雇い入れ、
1396年の解散後にその成員を自己の家臣団に組み込んでいるし、1370年代以降、盗賊騎士団の野盗的な
活動は漸次沈静化の方向へと向かっている


そんだけ

398 :神yo重い槍を祝福する:03/07/13 19:46 ID:???
 15世紀に入ると、傭兵の契約形態に大きな変化が認められるようになる
 1427年、帝国議会はある決定を下した
 「異端に対する戦いを遂行し、神の加護によって事件を落着せしめるため、傭兵を集めるに決した
 しかして金銭を受け取って従軍したい者は誰でも、例え囚人であっても受け入れられるべきである」
 ここで言及されている「異端」とは、紛れもなくボヘミアのフス派のことである
 市場や祭などの群衆の多数集まる場所で、請負人によって鳴り物入りの宣伝と募集が行われたランツクネヒト
のように、集団傭兵契約を行う盗賊騎士団を介さず、市民や農民を個人契約の形で吸収することによって
成立する新しい傭兵制度の普及である
 この変化には戦術上の要求が大きく関わっていた
 クルトレーとモン・ザン・ペヴェールのフランドル軍、ナンシーでブルゴーニュ公を殺したスイス槍兵は
純然たる無敵の攻撃兵器である装甲槍騎兵に対して槍兵密集陣の防御兵器としての戦術的可能性を示した
 一度、戦場における歩兵の戦術的有効性が認識されるや、量的に大量の兵員を調達できる有力な源泉として、
市民や農民がテリトリウム領主の前に大きくクローズアップされるようになった
 戦史上類を見ない奇形的な衝撃力を備えた装甲槍騎兵の圧倒的な戦術的優位に翳りが生じはじめた
 勿論、装甲槍騎兵が戦場から姿を消すのは16世紀末まで待たねばならないが、それでも10世紀以前の戦場を
支配していた戦闘の方程式は再び少しずつ戦場を支配し始めようとしていた
 戦場に単純に大量の兵力をぶち込めばぶち込む程に勝利の可能性が見えてくる戦争のスタイル対応すべく
軍隊は変容していく
 騎士と市民と農民を同列に置いた新しい軍隊に、盗賊騎士団の付け入る余地は全くなかった


そんだけ

399 :遍歴の騎士故郷に帰る:03/07/13 19:47 ID:???
 盗賊騎士団の中核をなしているのが騎士である以上、各地を放浪する盗賊騎士団は、テリトリウム領主と
対等の立場で、双務的な傭兵契約を結ぶことを望みこそすれ、必ずしもその永久的な隷属下に入ることを望まず、
場合によってはテリトリウム権力に掣肘を加える危険性すら持っていた
 この傾向は特にイタリアの傭兵隊長に顕著で、比較的主権の確立していたドイツではイタリアほど
極端ではなくとも、彼らドイツの盗賊騎士団も危険物となり得る不羈奔放な性格は同様であった
 盗賊騎士団を構成していた没落騎士が、必ずしも土地を所有しない浮浪の徒ばかりだった訳ではないこと、
あるいは帝国騎士の没落は否定できない事実としても、全ての騎士が盗賊騎士という諷刺語そのままの状態に
あった訳ではなく、なお相当量の土地を所有していたこと等はこのことを裏づけている
 14世紀末、盗賊騎士団と比較的良好な関係にあった皇帝ヴェンツェルに対し、多くのテリトリウム領主が
盗賊騎士団の解散を要求して圧力を加えたのも当然だった
 当時、テリトリウム主権と等族議会の二元構造が必然だったとしても、権力強化を目指すテリトリウムにとって、
テリトリウム権力に本質的に超然的な立場をとる盗賊騎士団の存在を公認する訳にはいかなかった
 テリトリウムを側面から支えるラント・フリーデ運動において盗賊騎士団が攻撃対象になったのも
このような事情によるものだった
 そしてその動きはテリトリウムの強化と等族議会の弱体化が進むにつれて加速していく
 やがて15世紀に入って戦術上の変化が軌道に乗り始めた時、没落の度合いを深めた騎士、市民、農民が
従来とは全く異なる立場から新しい傭兵軍に参加するようになると、盗賊騎士団は完全に消滅する


そんだけ

400 :領主のものは領主へ:03/07/13 20:00 ID:???
 中世国家の形成に際して、レーン制は個々に発生した地方領主権力の組織者としての役割を演じた
 しかし一方で、このレーン制による支配関係では、封臣の封主に対する独立性の維持、封主の封臣に対する
服従の要求という不断の利害の対立があり、この対立は結局は両者の実力関係いかんによって解決された
 このような対立は封主と封臣の間だけでなく、更に独立的な権力者相互間においても常に不可避的に存在し、
この一種の無政府的な闘争状態に対処するために、封建的支配者は自ら武装せざるを得なかった
 しかし封建的支配者の軍事力は、彼ら自身のフェーデに備えるためのみならず、被支配階層の反抗を抑圧する
機能もまた有していた
 勿論、平時において農民を規制する手段としてはまず荘園裁判があり、農民の個人的反抗に対して直ちに
軍事力が行使された訳ではないが、それでも封建権力の基盤をなす軍事力は、領主権にとって潜在的かつ基礎的な
強制力として働いていた
 しかし農民の反抗が個々の領主の保有する軍事力を超えて集団化組織化された時、封建領主たちは必然的に
平時の無政府的対立を放り投げ、ここに反乱鎮圧のために統一された封建軍事力が動き出すことになる


そんだけ

401 :百姓たちが集まって強い軍隊と戦争する:03/07/13 20:01 ID:???
 中世末期最大の農民一揆であるドイツ農民戦争においても、多くの領主が同盟や協定を結んで農民団と対立した
 ロートリンゲン公アントンは、1525年5月、自領であるロートリンゲンの一揆を鎮圧し、ついでアルザスに
侵入し、5月15日、ツァーベルンで当地の農民団を撃破した
 この時、1万8000の農民が殺されたと言われている
 その後、5月下旬に帰国するまで中部アルザスの農民を襲撃してまわっている
 ヘッセン方伯フィリップは、1525年5月上旬、フルダ修道院領の一揆を鎮め、5月15日、
フランケンハウゼンでミュンツァー指揮下のミュールハウゼン一揆軍を撃破した
 ザクセン公ゲオルグは、ヘッセン方伯フィリップと協同してミュールハウゼン一揆の鎮圧を行った
 ブランデンブルク辺境伯カジミールは、シュワーベン地方とフランケン地方に挟まれたリース及びその周辺の
農民一揆を各個撃破して5月8日にオストハイムでその主力を撃破し、更に北フランケンに進軍して
キッツィンゲンでビルトハウゼン農民団を撃滅している
 しかし、反農民軍の中核をなしていたのは、強力な封建諸侯の個人的な軍事力ではなかった
 それは文字通り危機に直面したドイツ南西部の中小封建領主によって組織されたシュワーベン同盟軍である


そんだけ

402 :戦う農夫:03/07/14 21:46 ID:???
 ドイツ農民戦争の時期は、ドイツ傭兵ランツクネヒトが一般化しつつある時期でもあった
 ランツクネヒトの普及は同時にドイツにおける優秀な歩兵軍の出現を意味していたが、ランツクネヒトの普及が
マクシミリアン1世の政策によるかどうかは別として、とにかく農民戦争の時期ががその勃興期に当たっていた
ことは間違いない
 ドイツ南西部はランツクネヒトの故郷であり、多くの農民は傭兵に応募した経験があり、このためにしばしば
農民団は傭兵団として組織され、傭兵が指導者となった
 リース農民団は、各村から選ばれた24名の委員からなる委員会が最高指導部を形成し、これによって役員が
任命されていたが、委員も役員も全て傭兵上がりで、中には1525年のパヴィアの戦闘から帰ったばかりの
者もいた
 5名の隊長には各々7、8名の護衛兵が配属され、旗手、下士官、衛生下士、給養下士、書記、鼓笛手、
陣営内の警務を司る憲兵1名が任命されており、全員に報酬が支給されていた
 また、リース農民団の旗には、握手した農民と傭兵の姿が描かれていた
 このような傭兵団的な組織の農民団はリース農民団に限らず、タウベル農民団、フルダ農民団、
ヴェルテンベルク農民団、ミュールハウゼン農民団等、至る所に存在しており、他にも傭兵が村々に一揆を
煽動し指導して歩いていた例も少なくなかった
 農民戦争を戦った農民団はその名からイメージされる純朴な農夫の群でも、圧政に耐えきれず立ち上がった
義民の集団でもなかった
 彼らは第一線級の訓練と経験を積んだプロの戦闘集団だったのだ


そんだけ

403 :全てのものを野に集めて:03/07/14 22:01 ID:???
 1487年6月26日、皇帝フリードリヒ3世はニュルンベルクの帝国議会からシュワーベンの等族に
勅令を下した
 その勅令では、1486年にフランクフルトの帝国議会で結ばれた10年間のラント・フリーデを守るため、
また彼らの権利を守るため、来る7月26日にエスリンゲンで会合し、同盟を結成するよう記されていた
 勅令は、等族内部の階層性を完全に無視しており、シュワーベン全ての聖俗諸侯、騎士及び都市に宛てられ、
彼らの大多数がその当日に指定された場所に集まった
 そこではウェールデンベルク伯フークが皇帝の代理人として提案を行い、同盟規約の起草のために少数の委員が
選出され、更に8月24日と9月3日に再びエスリンゲンにおいて会議が開かれ、その席上で規約の草案に修正が
加えられ、同盟の承認と成立が最終的になされたのは翌1488年2月14日のことだった
 このような同盟が成立したのにはそれなりの訳があった
 シュワーベン地方ほど無数の小テリトリウム国家と帝国都市に分裂した土地はなく、そしてそれらは絶えず
周辺の強大なテリトリウム国家からの侵略に晒されていた
 特に15世紀末には、バイエルンを本拠とするウィッテルスバッハ家のバイエルン公ゲオルグとアルブレヒトの
兄弟の台頭が著しく、着々とその所領を拡大し、周辺の帝国都市にもその支配権を拡大しつつあった
 バイエルン公ゲオルグは、ティロル大公ジギスムントからハイデンハイムとキルヒベルクを買い取り、
1458年にドナウウェルト市、1485年にネルドリンゲン市を支配下に収め、更にウルム市にも
その食指を伸ばしつつあった
 群小テリトリウム国家においてもバイエルンに対する恐怖は同様で、ここに同盟結成の第一の動機があった


そんだけ

404 :王様はお怒り:03/07/14 22:01 ID:???
 皇帝フリードリヒ3世もまたバイエルン公兄弟と激しい対立関係にあった
 1487年初頭、皇帝と同じハプスブルク家の系列に属するティロル大公ジギスムントが
バイエルン公アルブレヒトに死後の遺産相続を約束し、しかも既に前オーストリアの管理を委ねてしまっていた
 皇帝としては、このようなハプスブルク家の勢力を殺ぐ行動を許すことはできなかった
 かくして皇帝、諸侯、シュワーベンの等族を結合させたのは、バイエルンに対する政治的対立であり、その際に
仲介者、調停者としての役割を担っていたのが、皇帝の顧問官であり、しかもシュワーベンの貴族の最有力者でも
あったウェールデンベルク伯フークであったのもまた当然と言えた
 ただし、シュワーベン同盟の成立自体は15世紀を通じて問題になっていた「帝国改革」運動とは直接には
無関係だった
 このため、一説によると、帝国改革に熱意を持てなかったフリードリヒ3世は、シュワーベン同盟の成立に
対しても余り積極的でなかったとも言われている


そんだけ

405 :山崎 渉:03/07/15 12:04 ID:???

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

406 :名無し三等兵:03/07/15 12:40 ID:nHu164dD
中世の戦力は傭兵が中心だったからね。
何せ傭兵同士は、金のために戦うのだから、戦死どころか戦傷も嫌だ。
どっかの国の談合のように形だけ戦って、勝負がついたらさっさと終わる。
そんな戦いだったようだ。。

しかし領主同士の利害対立による中世の多くの戦いとは別に民族や宗教が絡むと、戦争は一転してややこしくなる。
アラブ世界で声高く叫ばれるような十字軍による異教徒・異民族に対する無差別虐殺。
こんなことが繰り返された。

近年でも第二次大戦が陰湿を極めたのも、総力戦ってこともあるが、それよりも人種対立や民族対立の要素があったからではないか?
そんな気がする

407 :名無し土方 ◆cDIj6u5gc. :03/07/15 19:10 ID:???
>406 >第二次大戦が陰湿を極めたのも

ちゃいます、イデオロギーというか観念的世界認識を強制しようとした莫迦どものせいでつ。
特に、機関銃と戦略爆撃を実用化した虐殺大好き国家どものせいでつ(偏見

408 :名無し三等兵 :03/07/15 20:18 ID:???
>>407

いやいや、その陰湿の意味は捕虜や支配民に対する虐待にイデオロギー以上のものがある、ということではないだろうか。

409 :大声が会議を仕切る:03/07/15 22:44 ID:???
 シュワーベン同盟は、ラント・フリーデの擁護者として違反者に対して制裁を加え、また外部からの脅威に
対抗するために実力を備えた組織でなければならず、従って同盟は文字通りの軍事組織でなければならなかった
 その最高指導機関である同盟委員会は結成当初は委員長2名と委員18名からなり、委員は諸侯、貴族、
都市から各々6名ずつ毎年選出されたが、これは1500年には委員長3名、委員21名に改正されている
 委員長の選出は同盟委員会の下部組織である各等族議会において行われることになっていた
 委員会は必要に応じて随時に委員長によって召集され、開催地は、ウルム、エスリンゲン、アウグスブルク、
ユーバーリンゲン等一定しなかったが、1500年以降はウルムで開催されるようになった
 また、11月中旬に年1回の定例委員会に限っては、ウルムとエスリンゲンで交替に開催されていた
 委員の主要な権限は、同盟内部の紛争について裁決する他に、同盟への敵対行為や攻撃に対する防衛の決議に
あり、その決議に関する委員会の指導権は常に無制限で行使されていた
 このように同盟委員会は、同盟の内部統制を保ち、その対外行動の方針を決定する中枢機関としての機能を有し、
いわば実質的な連合政府と呼べるものであった
 同盟委員会を構成する21名の委員は、諸侯、貴族、都市から各々7名が選出されていたが、そこでは必然的に
諸侯及び有力な帝国都市の勢力が支配的だった
 1500年当時、オーストリア、マインツ、アウグスブルクの司教、バイエルン、ブランデンブルク、
ヴェルテンブルク、ヴェルテンベルク、バーデンの各諸侯は各1名の委員を推す権利を有し、また都市では、
ウルム、アウグスブルク、メムミンゲン、エスリンゲン等の富裕で強力な帝国都市が委員を独占しており、
群小の貴族や都市はほとんど発言する機会を封じられていた
 上記の諸侯と大都市の面子は時期によってかなりの変動があるが、シュワーベン同盟の寡頭制的性格、すなわち
ドイツで発生したテリトリウム国家の利益擁護機関としての性格が、委員会の構成に端的に見出すことができる


そんだけ

410 :大きな軍隊を編成し城を壊し寺を燃やす:03/07/15 22:45 ID:???
 シュワーベン同盟軍の運営は、同盟委員会の政治的な指導の下で行われていた
 軍は常備的なものではなく、事態の発生とともに召集された
 召集兵数は予め各諸侯、貴族、都市に割り当てられていたが、実際の動員数は同盟委員会が決定したが、
多くの場合、実際の動員数は動員定数の6割程度だった
 シュワーベン同盟軍が大規模動員された年の召集動員定数は概ね下記の通りだった
 1490年:騎兵2340、歩兵1万9500  1492年:騎兵3500、歩兵1万4000
 1500年:騎兵1350、歩兵1万350   1512年:騎兵1062、歩兵8435
 1522年:騎兵1330、歩兵9475    1524〜1525年:騎兵1892、歩兵11285
 ただし、農民戦争に際しては同盟委員会は騎兵200、歩兵2000の予備軍を別に編成しており、
更に同盟の費用で召集されながら、諸侯個人の指揮下で運用され、同盟軍に算入されていない軍隊も存在しており、
農民戦争においてシュワーベン同盟の動員した兵力は動員定数をはるかに上回っていた
 軍隊の装備と食糧は各同盟加入者の負担が原則だったが、同盟規約第74条によれば、召集した兵員に金銭を
支払うか食糧を支給するかはそれぞれの同盟加入者の裁量に任されていた
 また、諸侯や大都市によって編成された砲兵隊の費用は同盟全員に配分されていた
 召集兵員の配分は、当初は諸侯と等族の比率が1:1だったが、後には5:2となり、諸侯の実力が
動員力でも決定的だったことがわかる
 同盟軍の総指揮に任ずる同盟軍総司令の下には司令と砲兵司令が任命されており、総司令は当初は同盟会議に
よって選出されていたが、1512年以降は皇帝に任命権が委ねられている
 しかしこれには6名の同盟委員が帯同し、一種の軍監としての役割を果たし、総司令は、「この軍事顧問の
了解のもとに振る舞うべし」と定められていた


そんだけ

411 :名無し三等兵:03/07/16 13:47 ID:???
たまたまググッてたら、何とアレクサンダー大王の書記官長エウメネスを
主人公にした漫画が連載されているんだな。
外人に話したら目を丸くされたぞ。

あの時代でも興味のある人物だけにどんなものか覗いてみよう。

412 :泣きを入れてみる:03/07/16 21:30 ID:???
 1525年1月下旬から2月にかけてオーベル・シュワーベンの農民蜂起が急速に激化しつつあった時、
シュワーベン同盟の委員としてウルムに滞在していたバイエルンのカンツラーとエックは、2月11日に
バイエルン公ヴィルヘルムに宛てて一通の手紙を書き送った
 「畏れながら、例え早急に歩兵を送ることができなくとも、使いものになりそうな騎兵だけは緊急に送って
いただきたい
 何故なら、この場合一刻の躊躇も許されないからです」
 この要請に基づいて、2月13日に貴族に対して召集令が発せられた
 「何時、何処へ諸君を召集しようとも、諸君は諸君の職務によって定められているに相応しく、従者、馬匹、
甲冑を携え、装備を整えておくように」
 しかし、当時の貴族の大多数は貧困を極めており、この召集に対して当然のことながら苦情が相次いだ
 ヴォルフ・ヴァルフという貴族は同盟委員会に対して嘆願書を送っている
 「私は既にヴェルテンベルク戦争において財産以上の装備を整えなければなりませんでした
 この度は、私に家計を支えられるだけの給金か糧食支給の約束が与えられますならば、それでやっと4頭の
馬を支度できましょう」
 また、ルドルフという郷士の訴えでは、
 「私は3週間も瀕死の床についておりまして、ただ今も病気で家から一歩も出ることがかないません
 そこで息子に馬と甲冑をつけて同盟軍に差し出しますが、私自身はこの度は馳せ参ずることができない次第です」
 ファイト・ロートレックなる貴族は、
 「私はほんの僅かな財産しか持っておりません
 貧しい貴族であるという以外は資産も官職も身分も持たず、ただこの僅かなもので家族を養わねばならない
有様です」


そんだけ

413 :発破をかけてみる:03/07/16 21:32 ID:???
 下級貴族たちの苦悩をよそに、2月18日に再びエックから報せが届いた
 「本日、事態について熟考いたしましたが、書面に示されているよりもより多くの援軍を送ることが
望ましいようです」
 この報告を受けて、2月21日に今度はバイエルン諸都市にも召集準備の命令が下った
 それによると、都市は馬と兵車を用意すべきであり、「市民並びに都市住民はただちに武器と甲冑を完全に整え、
4隊を編成してうち2隊は長槍兵、1隊は弩兵と銃兵であるように」要求されていた
 しかし、事態はますます緊迫の度を増していたため市当局は頼りの民兵を手放す訳がなく、3月31日に
閲兵場に到着した都市の召集兵は僅か877名で、しかもその多くが兵士としては如何なものかな連中だった
 このため、4月26日に次のような布告が出された
 「困難なる事態はなおも終結しそうになく、永らく妻子から離れることは市民にとって苦痛であろう
それ故、市民を呼び戻して、その後は毎月、月の終わりまでに、人または給金のいずれにせよ、金銭を送るか、
あるいは市民自身の代理となるような傭兵を代理として送るか、いずれかを選ぶように」
 この市民の召集に代わる金銭の供出額はかなりの高額だったらしい
 この軍役免除税が傭兵を雇い入れるための費用に充てられたことは間違いない

 バイエルンの場合、割り当てられた兵員の3分の1はこうした軍役免除税で供出されたため、
都市民や農民からの大規模な兵員徴募はかなり後になるまで行われなかった
 これには、農民がしばしば一揆勢に脱走したため、農民の徴募に慎重を極めたこともあった
 しかし、隣接したアルゴイ農民団の脅威が増大し、しかもヴェルテンベルクで作戦する同盟軍からの援軍が
当てにならなくなったため、5月14日に初めて農民に対する募兵が発令されることになる
 地方の世話役や判事は農民を集合させ、書記によってこの布告文を朗読させた



そんだけ

414 :布告文を読み上げてみる:03/07/16 21:33 ID:???
 「傲慢なシュワーベン農民は今やレッヒ河を越えて侵入し、バイエルンの農民に行を共にするよう強要している
 彼らに組みせぬ者は追われ、既に多くの者が家族と家畜を伴いランズベルクやショーンガウへと逃亡しつつある
 加えるにシュワーベンの輩はバイエルン公並びに高貴な人々に向けて不遜極まりない脅迫状や果たし状を
手交し、軍使として派遣された丸腰の騎士を捕らえるに至り、我ら大公は契約に反しても武器を取らざるを得ない
 しかして、レッヒ河を越えてバイエルン公国に侵略してきた者どもおよそ1万4000は、
シュタインガーデン修道院を略奪し、破壊し、焼き払い、今またライテンブーフ修道院も、その所領内に住む
全ての村人、農民を含め、その恐ろしき脅威のもとに晒されつつある
 しかしながら、ライテンブーフ修道院の農民たちは屈することを欲せず、シュワーベン農民とは何事も共に
為さざること、彼らが生死を共にする領封の御領主にして慈悲深きバイエルン公のお側に最後まで踏みとどまる
旨をシュワーベン人どもに告げ、かくして数百人のバイエルン農民はパイセンベルクその他の山々に拠って
シュワーベン農民を防ぐべく、良き武器を携え集まった
 しかして彼らは慎ましき臣下として慈悲深き御主君に身命を捧げ、神の御加護と共にシュワーベン農民の
傲慢にして暴虐な振舞にとどめを刺さんことを雄々しく誓い合った(中略)
 我ら慈悲深き御主君には、忠良にして誠実なる汝らに思いを寄せられ、汝ら全ての祖国、汝ら自らの名誉、資産、
家族、住居をあくまでも維持し、救い、守らんとの思し召しである
 畏れ多くも、汝ら忠良にして慎ましき農民には疑いもなく満幅の信頼を寄せられ、かくては邪悪にして不逞なる
シュワーベン農民が例え四倍に余る多勢であっても、神の御加護の下に勝ちまさるであろう
 また汝らの中には、この領邦の法廷の下において不正なる重荷に困窮しつつあると思い違いをする者もあろうが、
汝らの慈悲深き御主君には、この騒乱、騒擾の鎮まり次第、慈悲深き御配慮と正しき改善を願われている
 しかして畏れ多くも、いかなる疑い、不信を汝ら一人だにも寄せられざる如く、汝ら世話役もまた思慮、情意を
あげてこれに思いをいたさんことを」


そんだけ

415 :名無し三等兵:03/07/17 11:06 ID:???
>>411
岩明均のヒストリエね。アフタヌーン連載中。

416 :脅したり宥めたり煽ったり欺いたり:03/07/17 22:15 ID:???
 バイエルンに限らず、シュワーベン同盟の勢力圏内での農村に対する召集令は大抵がこのような調子で、
実際に大きな反響を呼んだ
 しかし、布告文への反響と、その内容が当時の状況を正確に伝えていたか否かとは全くの別問題だった
 前述のブランデンブルク公の布告文で述べられているシュタインガーデン、ライテンブーフ両修道院領の農民は、
シュワーベン農民を拒絶するどころか、むしろこれに呼応して600人が農民団に加わっていた
 また、武装してパイセンベルクに集まった農民250名は、蜂起農民に対抗すべく集結したのではなかった
 実際には、秘密裡に集まった彼らは、より大きな農民団を組織すべく談合していた蜂起農民の基幹要員だった
 バイエルン公国の至る所で農民の不満が充満していた
 アイハッハの世話役の5月21日の報告によれば、「役人が死刑の脅迫によって農民を武装させ検閲に赴くよう
命令した」時、「彼らは命令に従うべきか、それとも農民団を結成して蜂起すべきか、数時間にわたって協議した」
と記されている
 また、ミューニッヒの世話役は、6月10日に、「大公の勅令を奉読した際に、クリスチャン・ライトナーなる
男がこれに公然と悪口雑言を吐き散らした」と報告している
 バイエルンはこうした農民の不穏な言動に対して、強力な警察力をもって弾圧した
 既に1525年3月6日には警戒令が敷かれ、「他国者、見知らぬ乞食、巡礼、その他嫌疑のある者に対して
食事を給したり歓待したりしてはならない」と命じている
 そしてこれは農民戦争の激化とともにますます強化されることになる


そんだけ

417 :夜の底で着飾って、からまる足に笑われ♪:03/07/17 22:17 ID:???
 下級貴族、都市民、農民の徴集がこのような状況であったから、こうして強制徴募された兵からなる
シュワーベン同盟軍がどのような状態だったかは容易に想像できる
 3月1日、エックは委員会に宛てて、バイエルン公ヴィルヘルムから同盟に送り込まれた軍勢について、
次のように書き送っている
 「歩兵隊の隊長シュテッケルが本日私に通報したところによりますと、100名が脱走してミュンヘンへ
向かったということです
 しかもシュテッケルの手許には金もなく、書記も一人としておらず、全く聞くに堪えない汚らわしい話です
 畏れながら、この悪人どもについていかが思召されましたでしょうか
 シュテッケルは兵の大多数がミュンヘンの者だと申していますが、奴らはしたい放題の破廉恥極まりない
ならず者ばかりです
 奴らに対しては、畏れながら、無慈悲に振舞わねばならず、笞で打つこともまたやむを得ないでしょう
 我々は踊りに来たのではなく、戦争に来ているのです
 金を貰う時は一人も欠けることはないのに、検閲となると多くの脱走兵が出るのを私自身よく存じております」
 当事者たちの不満がこうであったから、ましてや民衆の同盟軍に対する嫌悪はこれ以上だっただろう
 同盟軍では軍律など存在しないに等しかった
 2月24日、ヴェルツブルク市参事会がバイエルン政府に訴えたところによれば、バイエルンの部隊が
ヴェルツブルク市を通過した際、隊長か憲兵が諸経費を支払って市の制度を尊重するよう前もって文書で
確約されていたにもかかわらず、「全ての約束が守られず、夜となく昼となく市の門は開放され、
これを閉めようとした市参事会の者は殴り倒され、今日においても軍需品その他の提供に対する支払の多くが
行われておらず、市民は兵士によって笞打たれている」と述べられている
 「要するに、市民誰一人として日々自らの家庭の平和を保ち得ない」ような恐ろしい事態が至る所で
現出していたのだった


そんだけ

418 :村のみんなとは戦えない:03/07/17 22:18 ID:???
 強制であろうがなかろうが、徴募兵における農民の比率はどうしても高くなることが避けられない
 シュワーベン同盟軍においても例外ではなく、農民出身の徴募兵はかなりの割合を占めていた
 そして彼らの多くが自らと同じ社会階層である蜂起農民に対して敵愾心を抱いておらず、募兵の段階で既に
このことを言明していた
 エックの書簡でも、「我々は農民に対しては使われたりはしないと決心している兵を4000人も所持している」
とか、「グレームリヒが同盟軍の歩兵2000を率いて進軍したが、彼らは農民と戦うことを欲せず、
安穏なるままにおかれんことを嘆願する有様で、我々が命令に服従するよう命じれば脱走してしまう」
と記されている
 オーストリア大公フェルディナントも、「兵士たちにはよく働けるように絶えず給金を支払わせている
 しかし彼らはいかなる待遇いかなる報酬があっても、決して農民に対して立ち向かったりせず、これを拒絶し、
支払があった後でお互いにこっそり好き勝手に逃走してしまう」と嘆いている
 バイエルン公ルードヴィッヒが共同統治者である兄のヴィルヘルムに宛てた信書には、
 「騎兵は役立たず、歩兵は信用できず、奴らはみな農民だ
 あなたも知っているように、奴らは理由もないのに進もうとしない
 要するにチンピラどもを信用してはならない」と記されている
 同盟軍内の農民出身の兵の脱走、寝返り、不服従、農民団への通敵を示す史料は枚挙に暇がない
 同盟軍は常に分裂の危機を内在していた


そんだけ

419 :戦場に群がり集う狗:03/07/17 22:22 ID:???
 シュワーベン同盟軍は、一面では確かに分裂と寝返りの危機をはらんだ軍隊ではあったが、
実際にはそうならなかった
 そして勿論、そうならなかっただけの理由があった
 エックはヴィルヘルム公宛てに次のような進言を行っている
 「畏れながら、私が憂慮いたしますように、土着の者から有力な武装兵を召集し得ないとお考えになり、
マントゥーアに書面を送って200乃至300人の軽騎兵をすぐに掻き集め、適当に養っておいてはと
お考えになろうとも、私は別に異存はありません
 何故なら、ヴェネツィアがそのような軽騎兵を多数召し抱えているという話ですし、手を尽くせば
精々一月足らずで200乃至300、あるいは400位は集められるものと思います
 農民に対して非常に『いい奴ら』です
 というのは、公国に一揆が起こるような場合、このような軽騎兵とかボヘミア人といったような外国兵を使って
鎮めるのが、またとない名案に他ならないからです」
 事実、多数のボヘミア人歩兵が手段を尽くして集められ、4月の時点でヴィルヘルム公の手許だけで既に
1000名に達していた
 また、同盟軍も多数のボヘミア人傭兵を雇い入れていた
 外国人傭兵だけでなく、賃金に対して雇われたいと望む農民は地元でも多数存在し、傭兵隊の編成は
容易に行われた
 例えば、5月11日、上アルゴイ農民がバイエルン公国に侵入した際、ザルツブルク大司教は、歩兵350名の
ために1400フローリン、騎兵50名のために600フローリン、計2000フローリンを傭兵調達資金として
バイエルン公に贈っている


そんだけ

420 :まるで魔界の軍団長の様な口振りで:03/07/18 21:57 ID:???
 シュワーベン同盟は実質的に軍事組織であり、その最高指導機関である同盟委員会は、同時に同盟軍の総司令部
でもあった
 しかし、委員会は決して最初から農民団に対して強硬姿勢で統一されていた訳ではなかった
 特に都市の代表者はしばしば平和的な交渉によって事態を収拾することを主張しており、その中心的人物である
アウグスブルクの委員アルツトは主戦論に反対して次のように述べている
 「私は全く反対だ
 例えなにがしかの富を得ようとも、それは我々にとって快いものだろうか
 我々が剣をもってせしめたものは、我々全てにとって快いものだろうか
 土地と人間の荒廃、夥しい流血がきっと起こるだろう
 それ以外の何ものでもないのだ」
 また、皇帝の代理であるバーデン辺境伯フィリップ、ザクセン選帝侯フリードリヒも、「穏やかに協定を結び、
大規模な戦争にまで拡大しないよう」同盟委員会に勧告している
 このような穏健派に対し、強硬派としてはバイエルンがあり、またヘッセン方伯フィリップなども容赦ない
農民弾圧を主張していた
 これらを代弁しその推進者となったのが、バイエルンの官房長ラインハルト・フォン・エックである


そんだけ

421 :聖霊と子の御名において:03/07/18 21:58 ID:???
 エックは早くから詭弁と強引さと陰謀の人として知られていた
 初めて同盟委員会に出席したのは1513年2月23日だったが、その時から精力的な活動によって同盟を
主導しており、彼無しには委員会は決議が進まず、決議の文案さえもエックの添削を受けたと言われている
 また彼はあらゆる作戦に直接関与し、彼自身が自負しているように、「彼がいない限り、誰も戦争に赴こうとは
思わないと他の委員たちが懇望する」有様だった
 そして絶えず都市の穏健派の克服に努め、国外追放されたヴェルテンベルク公ウルリッヒが農民と協同して
シュワーベンに来襲しつつあると脅迫的な警告を振りまき、ついに同盟委員会を主戦論でまとめ上げることに
成功した
 彼は文字通り戦争準備に没頭し、2月15日の手紙で、「私が例え1時間でもありとあらゆる奸計や悪巧みの
話をしていることがあれば、10フローリンの金をやってもいい」と言明するくらいで、3月17日の手紙では、
「恐らく過労のため、神の御意志のため、体が少なからず弱まった」とも記している
 ただし、10フローリン程度の端金よりも奸計を巡らすほうがエックにとっては大事だった
 エックは農民一揆の原因を全てルターにあると主張していた
 1523年の書簡では。「全てはルターの教説に少なからず原因があり、しかも日毎に勢いを増しており、
恐らく何よりも憂慮されるべきです
 このような不服従からはキリスト教信仰の頽廃ばかりでなく、臣下たちに御上への蔑視と根絶の企てを
引き起こすでしょう」と警告を発している
 戦争の激化とともに論調は激しさを増し、「これらの出来事は全てルターのせいで起こったのです」、
「ヘーガウ、ブライスガウ、シュワルツワルト等の農民蜂起は全てルター派の坊主どもが起こしているのです」
と言い始め、ついには「諸侯や貴族を打ち倒そうとするこれらの振舞は結局のところ、その根源をルターの教説に
発している」と叫び続けた


そんだけ

422 ::03/07/18 21:59 ID:???
 エックには、農民の行動に対する冷静な判断、農民からの要求を理解しようとする努力などは端から眼中に
なかった
 彼は、「なるほど農民たちはその貪欲のために神の言葉、福音、隣人愛を引き合いに出している」、「しかし私は
農民の兄弟愛には全く反対だ」、「もしフッガーが私と隣人愛を分かち合うとすれば、これほど残念なことはない」
などと語っている
 そして農民の要求に対しては、「どれ一つとってみても、驚かされないものはありません
 奴らは河川を全て自由にしようとしているのですから」と言うだけで、有名なシュワーベン農民の十二箇条に
ついてもこれを黙殺し、最後には「貴族は皇帝に至るまで全て皆殺しにし、いささかも容赦しないつもりだと
ハイルブロンの農民が宣言した」と曲解する始末だった
 要するに彼は徹頭徹尾、反農民で一貫していた
 「農民どもは正真正銘の悪魔で、奴らを信じてはなりません」、「農民どもは本物の野獣です」、「この悪魔ども
は絞首刑にしてから破門しなければなりません」、「もし(農民との)交渉が決裂するような事態になれば、
トルコ人が攻めてきたと思って振舞う以外にはありません」などと絶えずバイエルン公に進言し続けたのだった


そんだけ

423 :世界を敵に回しても貴方がいれば私は幸せ:03/07/18 23:16 ID:???
 このような調子だったから、当時の人たちも流石にエックはヤバ過ぎると感じていた
 皇帝カール5世はエックの人物像を次のように評している
 「あれは裏切りや破廉恥にかけてはユダヤ人を上回り、金のために祖国や帝国、全世界だって売りかねない
 たんまり金を掻き集めた後で一人で死んでいくだろう」
 この証言は戯画化されてはいるものの、確かにエックは目的のためなら手段を選ばなかった
 「援軍が来るまで、我々は悪漢どもと交渉を引き延ばすつもりだ」
 農民団の勢力が優勢だった場合、彼は協定を結ぶことを躊躇しなかったが、その狙いは時間の余裕の獲得で、
交渉の結果など最初から気にしておらず、十分に兵力を整えた頃、彼は農民を挑発し協定を踏みにじって
攻勢に出て農民団を徹底的に粉砕するのが彼の得意技だった
 更に、彼は農民の処断に当たって一片の慈悲も見せなかった
 前線からバイエルン公に宛てた書簡のほとんどで、彼は隠しきれぬ喜びをもって処刑した人数を報告している
 「ロートリンゲン公がエルザス・ツァーベルンで農民2万人ほどを斬り殺しました(中略)
 プファルツ伯ルードヴィッヒは農民1万8000ほどを撃ち殺しました(中略)
 21日にヴァインスベルクを焼き払い、何一つ残しませんでした(中略)
 (捕虜2名を得ましたが、)その1人の首領は木の下でじりじりと焼き殺しました
 その他の刑罰はとても思いつかなかったからで、もう1人は斬首しました」
 こうしたエックの目指していたのはテリトリウム権力、この場合はバイエルン公国の権力強化だった
 彼はそのために全力を傾け、周囲の誹謗中傷にもかかわらず、その政策を遂行した
 彼を理解し、終生親密であり続けたのはバイエルン公ヴィルヘルムだけだった
 ヴィルヘルムの弟ルードヴィッヒは次のように語っている
 「兄はエック以外は誰も信用しようとしない
 『似た者同士』というが、彼はまさしくそれだ」


そんだけ

424 :法難:03/07/19 09:59 ID:???
 エックはまた、農民戦争の機会を利用して教会財産の奪取をも目論んでいた
 シュワーベン同盟軍に提供した部隊やバイエルン公国領を防衛する部隊にそれぞれ莫大な給与を支給せねば
ならなかったが、この負担を農民に押しつけることが更なる一揆を誘発することは流石の彼も気づいていた
 このため、バイエルン政府は、教会、特に修道院に軍費の財源を求めた
 「全ての教会から金を集め、特に修道院からは数千グルデンの賦課がなされるべきです」と彼は書き送っている
 既に1523年、緊急の際には教会財産を使用する許可を教皇から獲得し、1525年2月18日、
特別委員が任命されて差し当たって総計3万フローリンの集金が決定され、目立った反発もなく実行されている
 4月2日、委員は教会と修道院を巡回して金銭や銀器の供出を命じ、続いて4月23日には一般の聖職者にまで
資金供出負担の範囲が拡大されることになった
 5月7日、第二次強制募金が修道院に命じられ、回状には「農民は司教、修道院長、司祭をはじめ全ての
聖職者を追放しようとしている」という脅迫的文言がご丁寧に記されていたが、貧困な下級修道院や聖職者は
これに応ぜず、割当額の半分も集まらなかったと言われている
 それどころか無数の苦情が寄せられ、ベネディクトボイエルン修道院長は、「当修道院は以前より負債を負い、
誰も金を貸してくれない」、ロール修道院長は、「最善を尽くしたが、最初の集金のため当修道院は破産状態に
ある」と言い、「真実を申し上げれば、教職者たちは酷く貧乏しております
 さもなければ全くこのことを喜んだでありましょう
 司祭様に1グルデン差し上げるより、慈悲深き我が御主君に4グルデン差し上げるほうが嬉しく存じます」
と訴えている
 しかしバイエルン政府は容赦なく6月12日に三度目の寄付を強要し、最後に既に戦火の収まった9月上旬、
5万フローリンの募金を割り当てている
 こうして教会財産の略奪は常軌を逸した横暴を示し、例えばテーゲルンゼー修道院の被害だけでも、
軍費4000フローリン、現物1000フローリンに達している


そんだけ

425 :自転車操業:03/07/19 10:00 ID:???
 実際のところ、同盟軍の財政はほとんど整備されておらず、このため資金調達は泥縄で行われた
 兵の装備と糧食は各当事者の負担だったが、その他の費用を巡っては都市と下級貴族の間で果てしない争いが
続けられていた
 1500年の決議でようやく、各加盟者の収入の1パーセントを払込むことが決定された
 しかし貴族はほとんどその義務を果たすことが出来ず、またこの頃頻発した戦争のために軍費は
到底賄いきれないほどに膨張し、結局、貴族と都市を問わず、人口に応じて軍費が割り当てられるようになった
 農民戦争が勃発すると、同盟委員会はますます財政窮乏に迫られ、ついに加盟者に割り当てられた軍役提供の
3分の1を金銭で代納するよう各加盟者に呼びかける有様だった
 しかもその払込みすら滞ったため、鎮圧された一揆農民から過酷な罰金を徴収することによって、
かろうじて急場を凌ぐことを余儀なくされていた
 罰金額は農民一人当たり6〜8フローリンが相場で、例えばラインガウの農民たちは1万5000グルデンを
支払わねばならなかった
 また、シュワーベン同盟はアウグスブルク、ニュルンベルク、ラーフェンスブルクの大商人に寄付を勧誘したが、
いずれも拒絶され、ただヤコブ・ブッカーだけが4000フローリンを寄付していた
 フッガーは同盟の有力な諸侯であるオーストリア大公フェルディナントに、農民一揆に対抗するための資金
として1524年に2万5000フローリンと2000ドゥカーテン、1525年に5万9562ドゥカーテンを
融通している
 フッガーが農民戦争で無関心な中立を保っていたとする説もあるが、少なくとも資金面で同盟を援助した
反農民運動の強力な支持者であったことは否定できない


そんだけ

426 :名無し三等兵:03/07/19 17:26 ID:???
なんだこの基地外はw

427 :名無し三等兵:03/07/19 19:44 ID:???
>425
雑音は気にしないで続きをお願い致しますm(. .)m

428 :妥協は存在しない:03/07/20 08:54 ID:???
 前述のように同盟内部でも穏健派と強硬派が存在しており、この態度の相違にによって農民戦争の経過もまた
交渉や調停の時期と武力衝突の時期という二つの段階に概ね区分される
 例えばマインツ大司教領に属するラインガウは経済的に裕福な地域だったが、同時に過去にも何度か一揆が
発生しており、潜在的な危険地帯でもあった
 1524年11月頃にマインツのヘディオという改革派教職者の煽動によって蜂起の準備が整えられ、
翌1525年4月23日、エルトヴィレ市民が市参議会に訴状が提出されたのを契機に一揆は各地に拡大し、
間もなく29箇条に及ぶ訴状が作成された
 この訴状は大司教の代理人に手交され、交渉は長引いたものの、やがて在地貴族が市民と農民に加盟するに
至って5月18日にその要求が全面的に認められることになった
 ところが両者の協定が施行されようとしていた時になって、部外者が全てをひっくり返してしまった
 ベーブリンゲンでフランケンの農民団を撃破したシュワーベン同盟軍が、余勢を駆ってマインツ領に
進出してきたのだった
 注目すべきは、農民団に妥協した立場のマインツ大司教でさえ、同盟軍を歓迎しなかったことである
 この時、マインツ大司教の代理人であるシュトラスブルク司教ヴィルヘルムは、同盟軍にマインツ領への進軍を
中止するよう申し入れている
 しかしこれに対して同盟軍の総司令、「農民のイェルク」の悪名でドイツ史上に燦然とその名の輝く
トゥルフゼス・ゲオルグ・フォン・ヴァルトブルクは、この要請を拒否して次のように答えたと伝えられている
 「我々は、農民の放縦、乱暴、由々しき誤謬に対しては厳粛かつ断固とした態度をとるように命令を受け、
その責務のためには、我々は汝らの御主君(マインツ大司教)の慈悲深き嘆願を受け入れられないし、
また言われるべきではないのだ」
 これでマインツの農民たちの運命は決まった

そんだけ

429 :神罰の味:03/07/20 08:57 ID:???
 和平交渉は、ラインガウに限らず、多くの地域で試みられていた
 フルダ修道院領では、4月22日に副修道院長と一揆勢の間で平和裡に協定が結ばれたにも関わらず、
5月3日に制止を押し切って進攻してきたヘッセン方伯フィリップの軍勢に蹂躙されている
 他にも、5月26日にはレンヘンで穏健な内容の「オルテナウ協約」が成立している
 他にも、バーデン・ドゥルラッハ、シュパイエルのブルーライン、ブレッテンのクライヒガウ、
その他多数の地方において、交渉による解決の可能性は十分にあった
 こうした交渉は全て4月あるいは5月上旬に結ばれ、農民団への血みどろの攻勢は上シュワーベンを除けば
5月に始まり、6月にはその頂点に達する
 この5月上旬が、農民戦争における平和交渉から武力衝突への転換点となった
 ただし、5月上旬までの交渉による解決への努力は過大評価できない
 確かに農民に対して穏健な領主は例外的に存在しただろうが、領主と農民が結んだ、あるいは結ぼうとしていた
協定の中には、領主に強制されたものや、その場凌ぎの時間稼ぎのために領主によって譲歩されたものが
圧倒的に多かった
 上シュワーベン、アルザス、プファルツ等では、時間を稼ぐために、交渉があからさまに引き延ばされている
 また、中には農民に力ずくで協定を強制された領主も少なくなかった
 農民戦争の起点であるシュトーリンゲン村の一揆とワルズフート市の蜂起からして、領主との交渉や
シュトックアッハの調停裁判にかけれれており、しかもそれは領主側にとって、単に時間の余裕を獲得せんが
ために過ぎなかった
 ともかく4月までの交渉と協定の時期は、個々の事情はどうであれ、客観的には帝国の作戦準備期間であり、
5月以降、帝国領各領主の反攻が一斉に開始され、その反攻の唯一の中核的存在こそがシュワーベン同盟軍だった


そんだけ

430 :****************************************************************************************************************************名無し三等兵:03/07/21 16:21 ID:???
test

431 :足りないのは覚悟:03/07/21 16:23 ID:???
 1524年末から1525年2月中旬にかけてのシュワーベン同盟軍はお話しにならないくらい劣勢で、
ただ手をこまねいて一揆の拡大を見守る以外になかった
 2月中旬、追放されていたヴェルテンベルク公ウルリッヒが農民兵とスイス人傭兵を率いてヴェルテンベルクに
侵入、シュトゥットガルトを占領する直前にまで迫ったが、後援者であるフランス王フランソワ1世がパヴィアで
敗北した上に囚われてしまったため、後方連絡線の途絶したウルリッヒ軍は自壊してしまった
 この時、シュワーベン同盟軍はシュトゥットガルトの防衛についていたが、これを契機に戦力を回復していく
 逐次陣容を強化した同盟軍が行動を起こしたのは、ようやく4月に入ってからだった
 統一した作戦展開能力に欠く農民団側は同盟軍の機動戦に抵抗できなかった
 まず4月4日、トゥルフゼス・ゲオルグ・フォン・ヴァルトブルク率いる同盟軍はウルム近郊のライプハイムで
バルトリンゲン農民団を襲撃してこれを撃破した
 この際、農民1000名が殺され、3000名が捕らえられたという
 続いて4月中旬までにバルトリンゲン農民団の残余を殲滅してこれを完全に解体し、次いで15日から16日に
かけて、ヴァインガルテン修道院近郊でボーデン湖畔農民団と対峙した
 両軍の兵力は農民団1万2000、同盟軍7000と同盟軍が劣勢で、しかもボーデン湖畔農民団は
農民団きっての武闘派と言われており、大砲すら装備していた
 そこでヴァルトブルクは4月17日に「ヴァインガルテン協定」を結び、戦闘を避けてヘーガウに撤退した
 この協定は、同盟軍の破滅を救ったのみならず、シュワーベンにおける、ひいては帝国全域における農民蜂起を
挫折させることになる
 農民団は、団の規約文書や旗を引き渡し、要求書をオーストリア大公の主催する調停裁判に提出し、それまでは
従前通り租税を納めるという妥協的な、そして戦略的には敗北に等しい協定に満足し、それと引き換えに、
総計3万に達するとまで言われる戦力を擁する農民団は、戦争を一挙にケリをつけられる最良の瞬間に
解散したのだった


そんだけ

432 :機動戦:03/07/21 16:28 ID:???
 ヘーガウに向かった同盟軍は、シュトックアッハで進路を北に転じ、ヴェルテンベルクに入った
 ここで一揆勢の中でも穏健派のマーテルン・フォイエルバッヘルに率いられたヴェルテンベルク農民団の
1万2000が同盟軍を迎え撃ち、5月10日、ヘレンベルクで対峙した
 ヴァルトブルクは敢えて攻撃せず、農民団と交渉をもち、5月12日、休戦条約を結んでベーブリンゲンに
進駐するや、直ちに条約を無視して砲撃を加えて農民団を撃破した
 この戦闘で、農民約2000から3000名、一説には8000名が殺されたと言われている
 続く23日、同盟軍はキルヒガウ農民団を撃破してプファルツ選帝侯ルードヴィッヒの作戦を掩護した
 選帝侯軍がブルーライン、ブルフザールを占領してプファルツの一揆を鎮圧した後、同盟軍は選帝侯軍を
加えてフランケンに転じた
 一方、農民蜂起の精神的指導者であるトマス・ミュンツァー率いるテューリンゲン農民団は、5月15日、
フランケンハウゼンで諸侯軍に惨敗し、その本拠地ミュールハウゼン市もザクセン選帝侯によって占領された
 ミュンツァー一派の運命が決した同じ15日、フランケン地方ではラウベルタール農民団、
オーデンヴァルト・ネカータール農民団、計1万5000がヴェルツブルク司教領で合同し、
ウルゼルフラウエンベルクを包囲しつつあった
 この攻撃は完全に失敗し、しかも彼らは部隊を再編成するどころか逆に分裂をはじめ、何かと口実をつけて
離脱する者が続出した
 こうした農民側の無為無策に乗じてフランケンに入った同盟軍は、5月29日にカールスウルムを奪取し、
次いで6月2日にタウベル湖畔のケーニヒスホーフェンで敵前強襲渡河して下フランケン農民団を撃破、
4日にインゴルシュタットの城址で農民団残余の英雄的な抵抗を掃討し、7日にヴェルツブルク市を奪回して
フランケン地方の農民一揆を完全に鎮圧した
 6月17日、バムベルク司教領に進出した同盟軍はハルシュタットを焼き払った
 この際、「騎兵たちは何人も容赦せず、隊長を激怒させ、味方でありながら敵よりもなお有害な存在だった」
と伝えられている


そんだけ

433 :わんにゃん@名無しさん:03/07/22 13:07 ID:???
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。

434 :彼らの自慢も終わりを告げ:03/07/22 19:43 ID:???
 シュワーベン同盟軍という独立的に行動するたった一個の野戦軍によって、農民団がこれほど短期間の間に
次々に撃破されていったのにはそれなりの理由があった
 一つには、よく言われているように、農民たちに軍事的、政治的な指導者を欠いていたことにあった
 農民戦争における一揆勢は同時多発的に発生した各地の蜂起の総和に過ぎず、決して各農民団が組織的に
連携していた訳ではなかったため、作戦展開における戦力集中の点で農民たちは圧倒的な不利にあった
 前述の通り、農民団の軍事力の中核は同盟軍や諸侯軍と同様にランツクネヒトだったが、「戦い慣れた
ランツクネヒトは下士官としては優秀だったが、司令官としては駄目だった」
 トーマス・ミュンツァーは一揆勢の精神的指導者だったが、彼でさえ狂信的な小集団を統率できたに過ぎず、
統一した戦線を構築するだけの力量はなかった
 もう一つは、農民団の戦術的限界にあった
 騎兵戦力で劣勢を余儀なくされていた農民団の慣用していた戦術は、フス戦争でフス派が編み出した車両要塞
の発展型だった
 車両要塞は基本的に陣地防御戦術であり、軽砲や弩、アルケブスと、それを防護する車陣と長柄武器で
構成されており、陣地防御の要件である火力と障害の連携を満たしていたため、フス戦争においては
確かに教皇の装甲槍騎兵の突撃を破砕してみせた
 しかし、大砲が当たり前のように野戦に投入されるようになっていた農民戦争の頃にはもはや通用しなくなって
いたのだった


そんだけ

435 :不実と悪意の故に:03/07/22 19:44 ID:???
生き残っていた農民団は今や二つに過ぎなくなっていた
 そのうちヘーガル・シュワルツワルト農民団は7月2日にオーストリア大公フェルディナントの軍によって
撃破されて四散し、残るアルゴイ農民団は、7月15日、ヴェルツブルクから急行軍で南下してきた
シュワーベン同盟軍にロイバスで蹴散らされた
 ザルツブルクの一揆は、ゲオルグ・フォン・フルンズベルク率いる同盟軍支隊と戦ってかなり有利な協定を
約束されつつ8月末に鎮められた
 1525年12月7日、一揆の発祥地であるワルズフート市が同盟軍とオーストリア諸侯の部隊によって
占領され、かくして農民戦争は完全に終結する
 ちなみに、ザルツブルクの一揆勢は翌1526年4月上旬に再び大規模な蜂起を起こし、今度は同盟軍主力に
よって粉砕されている
 同盟軍の作戦を見ると、シュワーベン同盟軍が4月上旬から7月にかけての4ヶ月間にドイツ南西部を円を
描きつつ、しかも要所においてはかなりの速度で行動していたことがわかる
 そしてその至る所で、単独で、あるいは諸侯の軍と連携しつつ、蜂起農民を撃破した
 まさしく同盟軍はこの戦争において恐らく唯一の戦略機動打撃部隊であり、領主側の反撃のための切り札に
他ならなかった


そんだけ

436 :純粋戦闘手段:03/07/22 19:47 ID:???
 シュワーベン同盟軍が、多くの傭兵によって構成されていたことは様々な点から指摘することができる
 同盟委員会は1525年2月上旬に各加盟者に対して3期に分けて兵員提供を命じているが、それは金銭に
よって代納してもよく、2月末に2万4700グルテン、5月半ばに3000グルテンが現金で代納されている
 また、兵員を提供する場合でも、騎士や民兵、強制徴募兵、傭兵等、その出自は問われなかった
 市民の多くは軍役を忌避して代理人を出すか、免除金を支払うほうを選んだ
 同盟とは別に諸侯が独自に行っていた徴募も実際には金銭獲得の名分に過ぎなかった
 こうして集められた軍資金は、ほとんどが同盟委員会、あるいは諸侯による傭兵の雇用に充てられた
 更にボヘミア人傭兵や北イタリアのラテン系職業傭兵が同盟軍の一翼を担い、「一揆鎮圧の最良の手段」とまで
評されている
 また、農民出身の強制徴募兵は信頼性に問題があり、しばしば命令不服従や通敵の傾向が見られたが、
金銭を目当てに同盟軍に応募してきた農民出身の傭兵は、本来同胞である農民に対してほとんど呵責を
感じておらず、少なくとも農民への同情から略奪や暴行を手控えたような史料は存在しない
 そして、同盟軍を指導していたのもまた全ての封建支配階層ではなかったし、同盟自体が全ての支配階層の
利益擁護機関ではなかった
 同盟の結成の経緯自体が、強力なテリトリウム国家の寡頭制的支配のための手段に他ならず、絶対主義の
形成期に要求された傭兵軍の原型となるものであった
 なお、シュワーベン同盟は農民反乱の危機を克服後、その役目を終え、1534年、ヘッセン方伯フィリップに
支援されたヴェルテンベルク公ウルリッヒの帰還を直接の契機として解散した


そんだけ

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